只持村(読み)ただもちむら

日本歴史地名大系 「只持村」の解説

只持村
ただもちむら

[現在地名]鳳来町只持

寒狭かんさ川左岸約六キロにわたる村。川を隔てて布里ふり村。下一色しもいつしき村に対する。天正一八年(一五九〇)吉田藩領、慶長五年(一六〇〇)徳川氏領、同八年幕府領、寛永一七年(一六四〇)新城水野氏領、正保二年(一六四五)幕府領、慶安元年(一六四八)海老菅沼氏領。長篠ながしのの戦で、武田勝頼は只持地内小松こまつを布里側に渡って落ちのびた。

明治元年(一八六八)したボキよりしやノに至る長さ二六町、幅二間の戊辰ぼしん(現只持用水)と称する水路を六戸で開削、水田六町歩の用水に供した。同一四年の「只持村誌」によると、寒狭川は材木の流れ出ること(管流し)で日々絶え間がなかったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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