南設楽郡(読み)みなみしたらぐん

日本歴史地名大系 「南設楽郡」の解説

南設楽郡
みなみしたらぐん

面積:三八二・四九平方キロ
鳳来ほうらい町・作手つくで

県の東北の山間部にあり、明治一一年(一八七八)設楽郡を分割して設置された時の範囲は、西南は標高七八九・二メートルの本宮ほんぐう山の山頂から東南に延びる尾根境川を境として宝飯ほい郡、東南は豊川を境として八名やな郡、北は標高一〇一六メートルの明神みようじん山、九二九・四メートルの宇連うれ山・与良木よらぎ峠などの稜線当貝津とうがいつ川などを境として北設楽郡、西は標高六〇〇―八〇〇メートルの山岳を隔てて東加茂郡、さらに標高七一九・九メートルのともえ山から本宮山に至る稜線を境として額田ぬかた郡に接していた。現在の郡域は、北は北設楽郡設楽町・東栄とうえい町、東は静岡県、南は新城しんしろ市、西は額田郡額田町・東加茂郡下山しもやま村に接する。

郡名は「延喜式民部頭註」に「延喜三年八月十三日割宝飯郡置設楽郡」とあり、宝飯郡の北半が分割してできたことがみえる。

〔原始・古代〕

縄文期の遺跡は鳳来町で三四、作手村で八、弥生期の遺跡は鳳来町で七、作手村一一と、面積の広大さに比してきわめて少なく、古墳に至っては作手村に一基が報告されているにすぎない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報