改訂新版 世界大百科事典 「可楽洞遺跡」の意味・わかりやすい解説
可楽洞遺跡 (からくどういせき)
Karakdong
大韓民国ソウル特別市江南区可楽洞にあって,西海岸中部地方における無文土器(青銅器)時代の代表的集落遺跡。可楽洞一帯の低い丘陵地の一つで,標高約40mの山の脊梁部に立地する。1963年の発掘調査によって,東西10m・南北7mの大型で,平面長方形の竪穴式住居跡が検出された。出土遺物には,石鎌,石鏃,石錐などの磨製石器と無文土器がある。この遺跡を著名にしたのは,壺と甕など無文土器の組合せがわかったことである。胎土に砂粒を混じえ,黄色ないし赤褐色を呈する無文土器のうち,とくに甕の口縁部に特色がみられる。すなわち,口縁の外側に幅3~4.8cmの粘土帯を二重に貼り付け,その粘土帯の下端付近に斜めに刻み目を入れていて,大同江流域のコマ形土器との関連がうかがえる。なお,可楽洞一帯は,三国時代百済の初期の都城跡に隣接しているため,その時期の土壙墓や横穴式石室を内部主体とする古墳群の所在地としても知られる。
執筆者:西谷 正
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