合原村(読み)ごうはらむら

日本歴史地名大系 「合原村」の解説

合原村
ごうはらむら

[現在地名]下條村合原

現下條村の南東部に位置する。元和五年(一六一九)より旗本近藤氏の所領となって幕末に至る。村高は正保四年(一六四七)に三四三石余(信濃国絵図高辻)

下条山脈の東麓、うしつめ川より北の山林原野は、山田河内やまだごうち村と入野いりの村が地元で本村が入会関係にあった。延宝六年(一六七八)には絵地図に墨引して、共有地の境界が初めて明確にされた。その後、新田開発を進めていた山田河内村や地元の権利を主張する入野村と、採草地の少ない入会村の当村との間に山論が起きた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む