裁許(判決)の内容を記した文書。鎌倉時代初期には下文(くだしぶみ)を用いて裁許したこともあったが,まもなく下知状(げちじよう)の様式を用いるようになった。すなわち文書の様式上からは下知状,判決文という内容からは裁許状の文書名が付せられるわけである。その様式をみると,はじめの事書(ことがき)で訴人(原告),論人(被告)の名前と相論の要旨が書かれる。〈南都興福寺僧綱等と千福丸と相論す,摂津国吹田荘下司職の事〉がその一例で,興福寺僧綱が原告,千福丸が被告で,吹田荘下司職について争っている。本文では両者の主張の要点を引用し,終りに幕府の判決を示す。関東より発せられた関東裁許状をはじめ六波羅裁許状,鎮西裁許状とあるが,関東裁許状では〈鎌倉殿の仰(おおせ)により下知件(くだん)のごとし〉,あるいは〈将軍家の仰により下知件のごとし〉と結ぶ。また裁判の途中で和解(和与(わよ))が成立することがあるが,両者間で合意の上作成した和与状にもとづき幕府より発する和与の裁許状も同じ様式である。室町幕府では御判下知状や奉書が裁許状に用いられた。
執筆者:高橋 正彦
民事裁判の判決書を総称して一般に〈裁許証文〉〈裁許書〉などといい,〈裁許状〉の語も広義にはこの意味で用いられる。幕府法上の出入筋(でいりすじ)では,白洲(しらす)において奉行が〈申渡〉と題する書面を朗読して,判決を告知する(裁許申渡し)。狭義にはこの書面を裁許状というが,通常これは訴訟当事者には下付されず,両当事者が連署押印した証文を奉行所に提出する。これを〈裁許請証文(さいきようけしようもん)〉(裁許請状,裁許請書)といい,裁許申渡しの後に別室で下役が読み聞かせて押印させるのであるが,その際,当事者は自分で写しを取ることが許された。裁許請証文は,目安(めやす)(訴状)・返答書の摘要,判決理由,主文,判決遵守の誓約等を記したもので,裁許申渡しの際に朗読される裁許状よりも詳細であるのが通例である。この裁許請証文のことを裁許証文と呼ぶこともあった。論所(地境論,水論など)では,絵図を作成して判決による区画を墨線で記入し,裏面に判決を書いて,両当事者に下付する。これも裁許状というが,〈裁許絵図裏書〉とも呼び,通常の評定公事では三奉行が連印し,国境・郡境にかかわる場合には老中も加印した。また金銭の給付判決では,裁許申渡しは〈日限(日切)済方(ひぎりすみかた)〉申付,すなわち一定期限付の債務弁済命令をその内容とするが,これに対して被告債務者は,判決遵守を誓約した〈日限証文〉(日限手形)を奉行所に提出する(金銭以外の給付判決でも同様で,例えば店立(たなだて)命令に対して被告は〈店立証文〉を提出する)。金公事(かねくじ)ではこの場合,債務完済まで日限証文を原告に所持させて,切金(きりがね)済方(分割弁済)のたびに紙を継ぎ足してその旨記載していった(1843年(天保14)の金公事改革で廃止)。以上は江戸時代後期における一般的な手続であるが,時期により,また訴訟の内容等によって,判決書や請証文の形式・名称は一様でなく,請証文は申し付けずに裁許状を下付する〈(裁許)書下し〉,請証文の写しを奉行所で作成して下付する〈上げ証文〉,請証文を当事者間で交換する形式の〈取替証文〉なども行われた。
執筆者:神保 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世における裁判の判決状をいう。『沙汰未練書(さたみれんしょ)』には、幕府の御成敗(ごせいばい)の下知状(げちじょう)のことを裁許状と称するとある。鎌倉幕府は初期には裁許状に下文(くだしぶみ)を用いていたが、のちには下知状を用いるようになった。裁許状の形式としては、初めの事書(ことがき)の部分で訴人と論人の名前と相論の内容の要点を示し、本文には両者の主張の要旨を引用して、最後に判決理由を明示した。鎌倉幕府の裁許状としては関東裁許状、六波羅探題(ろくはらたんだい)裁許状、鎮西(ちんぜい)探題裁許状があり、室町幕府では足利直義(あしかがただよし)が署判を据えた裁許状や、複数の奉行(ぶぎょう)人が連署する裁許状が発給されている。裁許状は長文のものが多く、紙継目(かみつぎめ)裏には担当奉行人が裏花押(うらかおう)を据えている。
[瀬野精一郎]
『相田二郎著『日本の古文書 上』(1949・岩波書店)』▽『佐藤進一著『古文書学入門』(1971・法政大学出版局)』▽『瀬野精一郎編『鎌倉幕府裁許状集』上下(1970・吉川弘文館)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中世の判決状のこと。鎌倉幕府では訴陳(そちん)・対決をへ,まず引付で判決原案の引付勘録が作成され,これが評定で認められると判決文が清書され,執権・連署の花押(かおう),引付頭人などの裏封(うらふう)をもって勝訴者に手渡された。下知状の様式をとり,両者の主張を要約した長文のものが多い。鎌倉幕府の関東裁許状と並び,六波羅(ろくはら)南北両探題署判の六波羅裁許状,鎮西(ちんぜい)探題署判の鎮西裁許状も発給された。室町時代には奉行人奉書(ほうしょ)でも発給された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…すなわち幕府の裁許文書として裁判のおりの判決(当時これを裁許といった)に多く用いられた。今日残る下知状の大半はこの裁許状であるが和与(わよ)の際にも用いられる。文書の様式上から下知状といい,内容からみて同一の文書を裁許状とよび,あるいは裁許の下知状のように文書名を付することもある。…
…博多の櫛田神社近辺に設置されたといわれる。成立時期については,九州における聴訴権をもつ北条兼時,同時家が九州に下向した1293年(永仁1)説と,訴訟の裁断権をもつ北条(金沢(かねさわ))実政が初めて裁許状を発給した97年説がある。実政の後も北条(金沢)政顕(まさあき),北条(阿曾)随時(ゆきとき),北条(赤橋)英時(ひでとき)と北条氏一族が任命された(政顕と随時の間に政顕の子種時を入れるかどうかで意見が分かれている)。…
※「裁許状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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