朝日日本歴史人物事典 「吉井義之」の解説
吉井義之
生年:文政9.1(1826)
幕末の尊攘派志士。名は義之,通称貞七,定七,三宅弥右衛門。但馬国朝来郡矢名瀬村(兵庫県山東町)生まれ。荒物呉服,売薬商として各地を往来し,開国後は尊攘論を唱え,梅田雲浜ら志士と交わる。文久3(1863)年2月学習院に北海道開拓の件を建白。同年8月18日の政変後帰郷。10月の生野挙兵に参加するが敗れ,弟弥兵衛と共に脱走して周防国三田尻で奇兵隊に入る。翌年京都に潜入,元治1(1864)年,池田屋騒動にあい長州藩邸へ逃げ込むが,同年7月の禁門の変で負傷し,再び帰郷。維新後は山陰道鎮撫総督に従軍し,のち北越戦争に参戦して凱旋。明治3(1870)年京都府に仕えた。
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報