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吉井義之 よしい よしゆき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉井義之 よしい-よしゆき

1826-1892 幕末-明治時代の尊攘(そんじょう)運動家,官吏。
文政9年1月生まれ。京都にでて梅田雲浜(うんぴん)らとまじわり,文久3年生野の挙兵に参加。のち長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の奇兵隊にはいり禁門の変で負傷した。戊辰(ぼしん)戦争では北越路を転戦。明治3年京都府少属(しょうさかん)となった。明治25年9月死去。67歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。通称は貞七,定七,三宅弥右衛門。変名に志賀屋定七。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

吉井義之

没年:明治25.9(1892)
生年:文政9.1(1826)
幕末の尊攘派志士。名は義之,通称貞七,定七,三宅弥右衛門。但馬国朝来郡矢名瀬村(兵庫県山東町)生まれ。荒物呉服,売薬商として各地を往来し,開国後は尊攘論を唱え,梅田雲浜ら志士と交わる。文久3(1863)年2月学習院に北海道開拓の件を建白。同年8月18日の政変後帰郷。10月の生野挙兵に参加するが敗れ,弟弥兵衛と共に脱走して周防国三田尻で奇兵隊に入る。翌年京都に潜入,元治1(1864)年,池田屋騒動にあい長州藩邸へ逃げ込むが,同年7月の禁門の変で負傷し,再び帰郷。維新後は山陰道鎮撫総督に従軍し,のち北越戦争に参戦して凱旋。明治3(1870)年京都府に仕えた。

(高木俊輔)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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