改訂新版 世界大百科事典 「ポピュリスト党」の意味・わかりやすい解説
ポピュリスト党 (ポピュリストとう)
People's Party
Populist Party
1890年代のアメリカで,西部と南部の農民を中心として結成された第三政党。人民党と訳す。長期的な農村不況,生産諸経費の高騰,鉄道・倉庫料金の独占的なつり上げ,通貨デフレ等に対する農民の不満の高まりが結成の原因であった。全国政党としてのポピュリスト党は1892年7月,ネブラスカ州オマハで第1回の全国党大会を開き,通貨増発,累進所得税,鉄道・電信電話の国営化,秘密投票制度,人民発議,人民投票,大統領の任期制限と上院議員の直接選挙を要求する綱領を採択,ウィーバーJames B.Weaverを大統領候補に立てた。同党は1892年から1908年まで5回の大統領選挙に候補を送っているが,最も善戦したのはこの1892年と96年の2度で,おもにカンザス,ネブラスカ,コロラドといった大平原と山岳部の諸州,および南部の諸州で得票している。ポピュリスト党は連邦議会にも議員を出してはいるが,どちらかといえば,連邦政治よりも西部と南部の州政治のほうで大きな影響力をもった。1896年の選挙に際しては,民主党候補で銀貨自由鋳造を主張するW.J.ブライアンを同党の大統領候補に指名したが,ブライアンの敗北はポピュリスト党を二分する結果となり,ちょうど農村景気が回復してきたこととも重なって,党勢力は急速に失墜に向かった。しかし,ポピュリストの改革案の多くは,まもなくプログレッシビズムの時代に入ると,二大政党の手によって次々と実現された。
執筆者:平野 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報