日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーラクザイ朝」の意味・わかりやすい解説
バーラクザイ朝
ばーらくざいちょう
Bārakzay
アフガニスタンの王朝(1819~1973)。ムハンマドザイ朝ともよばれる。ドゥッラーニー朝の1分派としてカンダハールを拠点に勢力を拡大、1819年にはドースト・ムハンマドがカブールを掌握、26年にはアミールとなった。以後1901年にハビーブッラーがシャーを名のるまで、歴代の君主はアミールとよばれていた。1873年から1904年にかけて、対ロシア、対インド、対イランの国境が画定された。版図は前王朝より狭かったが、山がちな地形のため、ロシアの圧力や、イギリスとのアフガン戦争にもかかわらず、同朝の存続が可能であった。西欧化による改革を志向したアマーヌッラーの亡命(1919)後は、ムサーヒバーン家のナーディル・シャー、その子のザーヒル・シャーが政権を握った。1973年には、ザーヒル・シャーのいとこのムハンマド・ダーウードによるクーデターによって、アフガニスタン共和国が成立した。
[清水宏祐]