吉国村(読み)よしくにむら

日本歴史地名大系 「吉国村」の解説

吉国村
よしくにむら

[現在地名]行橋市吉国

延永のぶなが村の南に位置し、東は上津熊かみつのくま村、西は二塚ふたづか村。長峡ながお川中流左岸の平野部に位置し、村内で山崎やまさき川・柵見さくみ川が長峡川に合流する。文永二年(一二六五)五月三日の香春大明神造営注文(太宰管内志)に、香春かわら大明神(現香春町の香春神社)御前鳥居の造営担当として「京南郷吉国自在丸」がみえる。永禄年間(一五五八―七〇)と推定される六月二日の親富・宏世・諸奇連署奉書写(片山文書/大分県史料一〇)によると、大友方の田原氏が「吉国村鍛冶屋名」四町二反余を片山氏に給与したところ、すでに久保くぼ庄の内として荒木出羽守に与えていたことが判明したため吉田よしだ庄内が替地として充当されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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