香春神社(読み)かわらじんじや

日本歴史地名大系 「香春神社」の解説

香春神社
かわらじんじや

[現在地名]香春町香春

いちノ岳・ノ岳・さんノ岳が南北に連なる香春岳のうち、当社は一ノ岳の南麓に鎮座する。旧県社。祭神は辛国息長大姫大目命・忍骨命・豊比命。「延喜式」神名帳にみえる豊前国の小座三座である田川郡の「辛国息長カラクニオキナカノ大姫大目命神社」「忍骨オシホネノ命神社」「豊比トヨヒメノ命神社」は当社に比定される。

〔古代〕

 「豊前国風土記」逸文(宇佐宮託宣集)は「鹿春の神」を新羅からの渡来神とし、採銅に携わる渡来人が当社の創祀にかかわると推測している。社蔵の香春神社縁起によると、三祭神は三岳にそれぞれ祀られていたが、和銅二年(七〇九)に一ノ岳南麓に合祀されたという(弘安一〇年「香春社解状」香春神社文書)。古代より当社の祭祀を担ってきたのは赤染氏と伝える。延暦年中(七八二―八〇六)入唐前の最澄が航海安全祈願のため神宮寺を造って読経し、郡司・百姓らの信仰も厚かったらしく、承和四年(八三七)に「香春岑神」が官社に列せられた(「続日本後紀」同年一二月一一日条)。貞観七年(八六五)二月二七日には従五位上の「辛国息長比神・忍骨神」に従四位上が授与された(三代実録)。最澄の弟子円珍は、仁寿二年(八五二)師に倣い渡唐前に当社に詣で法華経仁王経などを読誦した(同年四月一三日「僧円珍牒」園城寺文書/平安遺文九)。最澄・円珍の参詣や神宮寺の建立により、やがて延暦寺の支配下に入る。その後、山城石清水いわしみず八幡宮寺の別当の支配下にあって、長元七年(一〇三四)法印元命が官符により社務支配を認められ、のち弟子の法眼清成が元命から当社を譲与され、天喜三年(一〇五五)三月二〇日に清成の社務執行が認められている(「大宰府符案」宮寺縁事抄/平安遺文一〇)。建仁元年(一二〇一)七月には、香春社司が前侍従藤原信家の郎従が対捍したため清祓を行うよう天台座主を通じて朝廷に訴え、朝廷は信家に事情を尋ねるよう裁決したが、八月に当社が清祓も遁避したと天台座主を通じて重ねて訴えているので(「三長記」同年七月二六日・八月二日条)、再び延暦寺の支配が行われていたと推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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