光明寺(読み)こうみょうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

光明寺
こうみょうじ

京都府綾部市にある寺。創立は明らかでないが真言修験道当山派の開祖聖宝 (832~909) の創立といわれる。二王門が有名で宝治2 (1248) 年の建立下層にも屋根のある二重門で,仁王が後方にあって仏堂的扱いをしている。中世二重門の代表的遺構であり,国宝

光明寺
こうみょうじ

神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗大本山の1つ。天照山蓮華院と号す。開基に関しては,この寺の前身とされる蓮華寺をめぐって2説があるが,一般には鎌倉幕府の執権北条経時とされる。開山である良忠は,代々の執権の保護を受けて布教・教育に励み,浄土宗の三祖と仰がれるにいたった。また,その弟子2世良暁は白旗派の祖とされる。明応4 (1495) 年勅許を受け,のち浄土宗寺院で広く行われるようになった十夜法要 (毎年 10月に行われる念仏法要) の伝統的な流儀を伝える。奈良・当麻寺の『当麻曼荼羅』にまつわる伝説を描いた国宝『当麻曼荼羅縁起絵巻』ほか,重要文化財の浄土五祖絵など貴重な美術品を多く所蔵する。

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デジタル大辞泉の解説

こうみょう‐じ〔クワウミヤウ‐〕【光明寺】

粟生(あおう)光明寺」の略称。
神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗の寺。山号は天照山。仁治元年(1240)北条経時が佐介谷(さすけがやつ)に創建した蓮華寺を、のち現在地に移して改称したもの。開山は良忠関東十八檀林の一。所蔵の当麻(たいま)曼荼羅縁起は国宝。

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百科事典マイペディアの解説

光明寺【こうみょうじ】

京都府長岡京(ながおかきょう)市にある西山浄土(せいざんじょうど)宗の総本山。1227年の嘉禄法難(かろくほうなん)で法然(ほうねん)の廟堂が破却された後,荼毘に付された法然の遺骨の一部と灰を埋めた地に建立した廟所に始まるとか,法然の弟子蓮生(れんしょう)(熊谷直実(くまがいなおざね))が師を招いて建立ともいう。後証空(しょうくう)が入寺し西山派になった。1582年に明智光秀(あけちみつひで)の兵火で焼失。徳川家康の外護で復興,常紫衣(しえ)を許され栄えた。

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デジタル大辞泉プラスの解説

光明寺

神奈川県平塚市にある寺院。天台宗。山号は金目山。本尊の聖観世音菩薩にちなみ、金目観音とも呼ばれる。坂東三十三観音第7番札所。

光明寺

神奈川県鎌倉市にある寺院。浄土宗大本山。山号は天照山。仁治年間(1240~43)、北条経時が佐介谷(さすけがやつ)に創建した蓮華寺を移転して改称。秋の十夜法要(お十夜)で知られる。

光明寺

京都府綾部市にある寺院。真言宗醍醐派。山号は君尾山、本尊は千手観音。寺伝では聖徳太子開創空海の弟子・理源が延喜年間に真言道場として再興したとされる。1248年に建立された二王門は国宝に指定。

光明寺

兵庫県赤穂市にある高野山真言宗の寺院。山号は黒澤山。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうみょうじ【光明寺】

神奈川県鎌倉市にあり,天照山と号する浄土宗の大本山。仁治年中(1240‐43),執権北条経時が佐介ヶ谷に一宇を建立,帰依の僧然阿良忠を迎えて開山とした。初め蓮華寺また悟真寺と称したが,のち現在地に移し霊夢を得て光明寺と改めたという。8世観誉祐崇は1495年(明応4)宮中に召され,清涼殿にて浄土三部経ならびに引声念仏を修して後土御門天皇の帰依を厚くし,同年勅願所の綸旨を賜るとともに,十夜法要の勅許を得た。

こうみょうじ【光明寺】

三重県伊勢市にある臨済宗の寺。山号は金鼓山。はじめ聖武天皇の勅願寺。鎌倉末期の1319年(元応1),恵観禅師が山田吹上の地に再建し,臨済禅寺になった。そののち寺地は,1681年(天和1)再度現地に移った。当寺は南朝ゆかりの寺で,結城宗広(ゆうきむねひろ)が当寺に拠って衰退する南朝の再挙を計ったが,むなしく当寺で没したという悲史がある。その関係で,有名な《光明寺残篇》など南朝関係の古文書多数がある。【藤井 学】

こうみょうじ【光明寺】

京都府長岡京市粟生にある西山浄土宗の総本山。山号を報国山,院号念仏三昧院という。1227年(安貞1)いわゆる嘉禄法難のとき,延暦寺衆徒が東山の大谷にある浄土宗の祖法然房源空の廟堂を破却すると,源空の門弟たちは師の遺骸を嵯峨や太秦(うずまさ)にかくしたすえ,粟生野(あおの)で荼毘(だび)に付し,遺骨の一部と灰を埋めた。この地に建てた廟所が初めという。また寺伝では,源空が延暦寺を離れて庵室を結んだ西山の広谷は,光明寺の山の後に当たり,その弟子熊谷直実もこの地に結庵し,別に阿弥陀堂も建立し,師を招請して開山としたと伝える。

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大辞林 第三版の解説

こうみょうじ【光明寺】

京都府長岡京市粟生あおうにある浄土宗西山派の総本山。1198年、熊谷直実なおざねの創建。開山は法然ほうねん。粟生光明寺。
鎌倉市材木座にある浄土宗の本山。山号、天照山。1240年、北条経時が佐介谷さすけがやつに創建した蓮華寺を、のち現地に移して、良忠を開山として改名したもの。関東十八檀林の第一。

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事典 日本の地域遺産の解説

光明寺

(兵庫県加東市光明寺433)
加東遺産」指定の地域遺産。
真言宗の古刹で「播磨高野」とも呼ばれる。丹波路を見下ろす高所にあり、交通の要衝であったことから度々戦の舞台となった。中でもよく知られるのが、1351(観応2)年足利尊氏と弟・直義が対立した、いわゆる「光明寺合戦」である。1925(大正14)年に再建された入母屋造り銅板葺きの本堂のほか、平安時代後期の銅造如来坐像(国指定重要文化財)、一幅善導大師画像などの文化財が残されている。紅葉の名所としても知られる

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世界大百科事典内の光明寺の言及

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

※「光明寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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