吉川広嘉(読み)きっかわ ひろよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川広嘉」の解説

吉川広嘉 きっかわ-ひろよし

1621-1679 江戸時代前期の武士
元和(げんな)7年7月6日生まれ。吉川広家の孫。周防(すおう)(山口県)岩国城主。岩国川河口の干拓,銅山開発,製紙業興隆につくし,大坂中之島に蔵屋敷をもうけ販路を拡大するなど経済振興につとめる。延宝元年に錦帯橋をつくった。延宝7年8月16日死去。59歳。初名は広佳,広純。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉川広嘉」の解説

吉川広嘉 (きっかわひろよし)

生年月日:1621年7月6日
江戸時代前期の武士
1679年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉川広嘉の言及

【錦帯橋】より

…周囲の環境に調和した姿の美しさと優れた技術のゆえに日本の古橋中屈指の名橋とされ,またその形,構造の珍しさから,甲斐の猿橋,越中の愛本橋と並んで,古くは日本三奇橋の一つといわれた。橋の全長は約200m,木造アーチの支間長はおのおの35.1mで,1673年(延宝1)岩国藩主吉川広嘉の命によって建設された。この場所にはそれまでにも木橋はあったが,再三にわたり出水のため流失の憂き目に遭っていた。…

※「吉川広嘉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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