(井上寛司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
安土(あづち)桃山時代・江戸前期の武将。元春の三男。幼名才寿丸(さいじゅまる)、通称又二郎、初め経信(つねのぶ)。蔵人(くろうど)、民部少輔(しょう)。幼時から豪胆であった。1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の人質として上京、87年兄元長の死により家を継ぐ。91年伯耆(ほうき)、出雲(いずも)、隠岐(おき)、石見(いわみ)、安芸(あき)の諸国に14万石を領して出雲富田(とだ)城に居城した。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役に両役とも従軍。関ヶ原の戦いでは毛利輝元(もうりてるもと)の大坂入城を諫止(かんし)しようとしたが果たさず、西軍にありながらひそかに徳川氏に通じ、戦後家康が広家に厚く報いようとしたのに対して、毛利氏領国保全のために奔走し、自身はそのうち岩国3万石(後の検地で6万石)に甘んじた。1617年(元和3)領国統治の法度(はっと)187条を定め、同年家を子の広正に譲った。
[福尾猛市郎]
安土桃山,江戸初期の武将。岩国吉川氏の始祖。吉川元春の三男で初名経言。豊臣秀吉の九州出征の際に活躍,豊前・肥前国一揆等を鎮圧。1591年(天正19)秀吉より伯耆,出雲,安芸の諸所領および隠岐国を宛行われた。同年安芸新庄を離れ出雲富田に入部。文禄・慶長の両役に出陣,活躍する。関ヶ原の戦の後,宗家毛利氏の保全のために奔走。1601年(慶長6)周防由宇に上陸,岩国に移住。
執筆者:外園 豊基
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…正式に岩国藩となったのは1868年(明治1)からである。始祖吉川広家(元春三男)から第13代経健(経幹次男)にいたる。1600年(慶長5),毛利氏の防長2州移封で,輝元から玖珂地方3万石を分給されたが,知行高は,慶長検地で4万5000石,寛永検地で6万石余,廃藩置県のころは8万石余だった。…
※「吉川広家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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