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吉川広家 きっかわ ひろいえ

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美術人名辞典の解説

吉川広家

安土桃山・江戸前期の武将。蔵人頭。安芸生。元春の三男。幼名は才寿丸、諱は経言、晩年如兼と称する。兄元長の死により家を継ぎ出雲富田に居城。文禄・慶長両役に出陣。関ケ原の戦では毛利輝元が豊臣軍の主将となったが、広家は輝元の代理として出動、徳川家康に通じて毛利軍の参戦を阻止し、毛利氏の保全に奔走、輝元は周防・長門二国を保有できた。のち岩国に入封したが、正式には立藩しなかった。寛永2年(1625)歿、65才。

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デジタル大辞泉の解説

きっかわ‐ひろいえ〔キツかはひろいへ〕【吉川広家】

[1561~1625]安土桃山・江戸初期の武将。元春の三男。毛利氏支藩の岩国藩吉川氏の祖。関ヶ原の戦いでは徳川氏に内通し、戦後、宗家毛利氏の領国周防(すおう)長門(ながと)両国の保全に功があった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉川広家 きっかわ-ひろいえ

1561-1625 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)4年11月1日生まれ。吉川元春(もとはる)の3男。毛利氏の部将として各地を転戦。天正(てんしょう)15年(1587)兄元長(もとなが)の病死で家督をつぐ。文禄(ぶんろく)・慶長の役に従軍。関ケ原の戦いでは徳川家康に通じ,毛利氏存続のため奔走。慶長6年周防(すおう)(山口県)岩国城主となった。3万石。寛永2年9月21日死去。65歳。初名は経言(つねのぶ)。通称は次郎五郎,又次郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

吉川広家

没年:寛永2.9.21(1625.10.22)
生年:永禄4(1561)
戦国時代の武将,江戸時代初期の大名。吉川元春の3男。幼名才寿丸,はじめ経言。元亀1(1570)年以来,兄元長と共に毛利氏の武将として転戦。天正10(1582)年,毛利輝元と羽柴(豊臣)秀吉の間に和がなり,翌年人質として上洛。しかし,同14年に元春,翌年元長が相次いで没し,兄の遺言によって吉川家を相続。同19年秀吉の命で伯耆,出雲,隠岐,安芸4カ国に14万石を領し,出雲富田に居城。秀吉の朝鮮出兵に際しては文禄・慶長両役に従軍して功を立てている。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では,徳川氏に密かに款を通じることで輝元が石田三成方に参陣するのを阻止し,戦後も毛利氏存続のため奔走。翌年,周防玖珂・熊毛両郡に3万石を与えられ,岩国に移住した。同18年に家中法度35条,さらに元和3(1617)年には治法188条を制定して,領政の基礎を確立した。<参考文献>『吉川広家年譜』,井原豊編『吉川広家卿略伝』

(井上寛司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きっかわひろいえ【吉川広家】

1561‐1625(永禄4‐寛永2)
安土桃山,江戸初期の武将。岩国吉川氏の始祖。吉川元春の三男で初名経言。豊臣秀吉の九州出征の際に活躍,豊前・肥前国一揆等を鎮圧。1591年(天正19)秀吉より伯耆,出雲,安芸の諸所領および隠岐国を宛行われた。同年安芸新庄を離れ出雲富田に入部。文禄・慶長の両役に出陣,活躍する。関ヶ原の戦の後,宗家毛利氏の保全のために奔走。1601年(慶長6)周防由宇に上陸,岩国に移住。【外園 豊基】

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大辞林 第三版の解説

きっかわひろいえ【吉川広家】

1561~1625) 安土桃山・江戸初期の武将。毛利氏支藩、岩国藩吉川氏の祖。元春の三男。関ヶ原の戦いでは西軍にあって徳川家康に通じ、毛利氏の参戦を阻止、宗家の周防・長門両国の保全に功があった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉川広家
きっかわひろいえ

[生]永禄4(1561)
[没]寛永2(1625).9.21. 岩国
江戸時代初期,周防岩国の城主。元春の3男。初名経言。天正 15 (1587) 年兄元長の死により,家を継いだ。関ヶ原の戦いには,毛利輝元が西軍に加担したが,輝元に代って参陣した広家は,徳川氏に通じて毛利軍が戦闘に参加するのを阻止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉川広家
きっかわひろいえ
(1561―1625)

安土(あづち)桃山時代・江戸前期の武将。元春の三男。幼名才寿丸(さいじゅまる)、通称又二郎、初め経信(つねのぶ)。蔵人(くろうど)、民部少輔(しょう)。幼時から豪胆であった。1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の人質として上京、87年兄元長の死により家を継ぐ。91年伯耆(ほうき)、出雲(いずも)、隠岐(おき)、石見(いわみ)、安芸(あき)の諸国に14万石を領して出雲富田(とだ)城に居城した。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役に両役とも従軍。関ヶ原の戦いでは毛利輝元(もうりてるもと)の大坂入城を諫止(かんし)しようとしたが果たさず、西軍にありながらひそかに徳川氏に通じ、戦後家康が広家に厚く報いようとしたのに対して、毛利氏領国保全のために奔走し、自身はそのうち岩国3万石(後の検地で6万石)に甘んじた。1617年(元和3)領国統治の法度(はっと)187条を定め、同年家を子の広正に譲った。[福尾猛市郎]

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世界大百科事典内の吉川広家の言及

【岩国藩】より

…正式に岩国藩となったのは1868年(明治1)からである。始祖吉川広家(元春三男)から第13代経健(経幹次男)にいたる。1600年(慶長5),毛利氏の防長2州移封で,輝元から玖珂地方3万石を分給されたが,知行高は,慶長検地で4万5000石,寛永検地で6万石余,廃藩置県のころは8万石余だった。…

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