出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
雑喉とは種々入りまじった小魚のことで,それを売買する所を雑喉場といい,大坂魚市場の固有名詞となった。1495年(明応4)ころ,蓮如の石山本願寺建立のときできたという。のち豊臣秀吉が大坂城築城のとき城に近く,また魚類の運送に不便であるとして,1597年(慶長2),靱(うつぼ)町(現,東区伏見町)に移し,さらに1618年(元和4)大坂の復興に伴い上魚屋町(東区安土町)に移るとともに,冥加金を上納して,大坂唯一の魚市の特権を得た。さらに漁船の出入りに便利な鷺島に店を設けたのが盛大となり,地名も雑喉場といわれるようになった。当時,問屋は17あったので十七軒会屋ともいわれた。会屋とは商人が集まって取引したことからできた名で,のち問屋と改まった。もとは近くの野田村・福島村あたりの漁師の捕った雑魚を買って往来人に売ったことから盛大となり,22年,塩魚問屋が津村に移ったので生魚問屋だけの市場となった。堂島の米市場,天満の青物市場とともに大坂の三大市場といわれ,元禄ころ(1690年代)の売上年銀額は1500~2000貫目といわれた。塩魚問屋と異なり,他国・他所の無縁の者でも市に立ち会うことができ,仲買商と素人との別なく買い取る慣習となった。市場商人数は,元禄ころ32人,享保・元文ころ(1730年代)50人余,1772年(安永1),翌年から冥加銀,年9貫目ずつ上納することで問屋株の結成が許され,84人の生魚市場独占となった。
しかし分かれた塩魚仲間は,新靱町・新天満町・海部堀川町のいわゆる三町問屋として,塩魚・干魚・鰹節などの取扱いから,近世中期には生魚の市立ても行うに至って,雑喉場と三町問屋との間に紛議が起こり,81年(天明1)大坂町奉行のもとで訴訟となった。大坂町奉行はそれぞれ株仲間固有の従来の取り扱う生魚類と塩魚類の区分を固守するよう決裁した。しかし雑喉場はしだいに衰退し,問屋数も89年(寛政1)70人と減少し,天保改革によって仲間は一時停止されたが,1847年(弘化4)再興,58年(安政5)42戸,69年(明治2)31戸と衰えた。
執筆者:小林 茂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
一般的には魚市場をさすが、近世大坂の鮮魚市場の名称として有名である。大坂の魚市場は慶長初年頃(1598~1599)東横堀(ひがしよこぼり)川西岸の高麗橋(こうらいばし)1丁目から道修(どしょう)町1丁目一帯にかけて形成され、南部は大坂夏の陣まで、北部は1621年(元和7)頃まで続いた。この魚市場は生魚と乾塩魚を取り扱ったが、生魚商は1618年に上魚屋(かみうおや)町に移転し市場をつくった。この生魚商たちは魚船の出入りの便のため1679年(延宝7)に出張所を鷺島(さぎしま)につくったが、しだいに雑魚取引がここに集中するようになり、いつしか「雑魚場」「雑喉場」と呼ばれるようになった。上魚屋町の本店も1679年(延宝7)と1682年(天和2)にここに移転。承応(じょうおう)年間(1652~1655)に問屋株40軒を免許され、鮮魚の独占市場となり、1772年(安永元)には株数84軒に増加させた。明治以降も存続し、1931年(昭和6)大阪中央卸売市場の成立で廃止された。
[内田九州男]
『魚市場事務所編『雑喉場魚市場沿革史』(復刻版、1968・大阪水産流通史研究会)』▽『佐久間貴士編『よみがえる中世2―本願寺から天下一へ大坂』(1989・平凡社)』
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本来は,領主に上納する高級魚を中心に扱う魚市場に対し,もっぱら一般むけの雑魚の取引を行う市場のこと。大坂では,1618年(元和4)にそれまで天満町・靭(うつぼ)町にあった魚市場が上魚屋(かみうおや)町に移転し,幕府へ高級魚を納めて市内唯一の魚市場の特権をえた。しかし淀川沿いから離れ不便なため,魚の傷みやすい春・夏は川下の鷺島(さぎしま)で出張取引を始め,近隣の野田・福島村の漁師も雑魚や川魚を持参したのが雑喉場の始まり。のちすべての生魚取引が鷺島で行われるようになり,魚市場と雑喉場が同義になった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…ただ応長1年(1311)付の淀魚市次郎兵衛尉宛為替状(厳島神社反古裏紙背文書)に,淀魚市の商人が洛中錦小路で替銭をするよう依頼されていることからみて,その成立は鎌倉時代にまでさかのぼるものかもしれない。一般には江戸日本橋魚市場,大坂雑喉場(ざこば)の魚市が有名である。前者の成立については諸説ありつまびらかでないが,1590年(天正18)の徳川家康の入城後,三河人にこの辺で魚の専売を許したのにはじまるとか,同じころ摂津西成村,大和田村の漁夫30余名がここに来住し,幕府膳所用魚の余分を売りさばいたのにはじまるとかいわれる。…
…両岸には諸藩蔵屋敷や諸国荷受問屋が集中し,遠国から諸商品が集まって〈水の都〉らしい活況をみせた。この堀川の西端,京町堀との間が雑喉場(ざこば)と呼ばれ,大坂三大市場の一つである魚市があり,瀬戸内海はもちろん遠く九州からも鮮魚が大量に入荷した。魚市場は1931年福島区の中央卸売市場へ引っ越し,また堀自体も第2次世界大戦後に埋め立てられたが,現在の江戸堀町は卸売業の卓越する問屋商店街としての性格を継承している。…
※「雑喉場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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