日本歴史地名大系 「吉持家住宅」の解説 吉持家住宅よしもちけじゆうたく 鳥取県:西伯郡会見町石田村吉持家住宅[現在地名]会見町田住近世、代々大庄屋を勤め、長者(ちようじや)原開墾や佐野(さの)川開削に尽力したことで知られる吉持家の居宅で、県指定文化財。主屋は文化年間(一八〇四―一八)五代源次郎のときの普請で、規模は桁行八・五間、梁間六間。上手の上湯殿部分と裏側下手の台所、風呂の突き出している部分の後補以外は、主屋自体の拡張はみられない。間取りは変形で桁行は三分されているが、桁行の食違った八間取りとなっている。整形九間取形式への発展段階を示す民家として貴重である。吉持家は戦国期の羽衣石(うえし)城(現東郷町)城主南条氏の流れをくむといわれ(「伯耆志」は疑義を挟む)、のちに当地で土着帰農した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by