佐野川
さのがわ
溝口町中祖で日野川の水を取入れ、岸本町小野・小町・金廻を経て坂長地区西部で二条に分れる用水路で、岸本町・会見町・米子市の二町一市にまたがる日野川左岸一帯を灌漑する。開削は石田村(現会見町)の豪農吉持五郎左衛門が元和四年(一六一八)藩庁に坂中村地内の台地長者原の開墾を願出たことに始まるとされる。五郎左衛門の子甚四郎は長者原開墾には水利の確保が鍵と考え、寛永年中(一六二四―四四)には用水路開削の藩許を幾度か得て、実際に工事に着手したこともあったが、池田光政の国替や島原の乱などによって、いずれも沙汰止みとなった。
佐野川
さのがわ
源を大岡村鍋窪(現更級郡大岡村)に発し、荏沢川・中沢川・中村川の支流を集めて東流し、北国西街道を横断して桑原宿の南を流れ、稲荷山・八幡両村の間を下って志川に至り千曲川に注ぐ。延長八二・一キロ。上流滝沢には高さ二五メートルの不動滝がある。
下流を御言川ともいい、佐野川にかかる現御言橋は八幡村の武水別神社(八幡宮)に通じる八幡道にかかっている。
八幡地区の佐野川右岸には、弥生後期の青木・レンデバ・ヨコマクリ等を含む遺跡群があり、早くから農耕が行われていたことを示している。桑原村・稲荷山村・八幡村等の田用水はこの川によって灌漑されてきた。
佐野川
さのがわ
泉佐野市の北部を北西流し、佐野漁港の北で大阪湾に注ぐ。上流は泉南郡熊取町南部丘陵に水源をもつ住吉川および北部丘陵に水源をもつ雨山川。上流二川は熊取町と泉佐野市の境界で合流し佐野川となる。指定流路の長さ二・九キロ。享禄二年(一五二九)一二月一三日の麹荷売券(中家文書)に「上ハ限佐野川、下ハカシノヰ河ヲ、其中佐野三ケ所・平」とあり、佐野川は佐野と瓦屋・鶴原との境界をなしていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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