吉田ふじを(読み)ヨシダ フジオ

20世紀日本人名事典 「吉田ふじを」の解説

吉田 ふじを
ヨシダ フジオ

明治〜昭和期の洋画家 朱葉会名誉会長。



生年
明治20(1887)年10月5日

没年
昭和62(1987)年5月1日

出生地
大分県中津市

出身地
福岡県福岡市

本名
吉田 藤遠(ヨシダ フジエ)

経歴
洋画家・吉田嘉三郎の三女として生まれる。7歳のとき父と死別、小学校の頃に上京小山正太郎の不同舎で絵を学ぶ。明治36年義兄・博(養子)と共に外遊し、39年帰国して展覧会を開催。兄妹画家として評判を呼び、世相漫画にもなった。これは夏目漱石の「三四郎」「虞美人草」のヒントになったといわれる。40年博と結婚。大正8年女流洋画家団体朱葉会に入り、のち会長に就任。12年関東大震災の罹災画家の作品を持って渡米、夫と共に募金活動を行う。戦時中は従軍画家となり、25年夫と死別。89歳でアメリカ旅行をして朱葉会に「キリマンジャロ」を出品、92歳の時画業80周年の個展を開催。女流洋画家の草分け的存在だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田ふじを」の解説

吉田ふじを よしだ-ふじを

1887-1987 明治-昭和時代の洋画家。
明治20年10月5日生まれ。吉田博の妻。小山正太郎の不同舎で修業をする。明治36年から3年間ニューヨークでまなび,40年第1回文展に出品,43年「神の森」で褒状。大正7年女流洋画家団体朱葉会にはいり,のち会長。昭和62年5月1日死去。99歳。大分県出身。本名は吉田藤遠。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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