コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

小山正太郎 こやましょうたろう

8件 の用語解説(小山正太郎の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小山正太郎
こやましょうたろう

[生]安政4(1857).1.21. 越後,長岡
[没]1916.1.7. 東京
洋画家。長岡藩医小山良運の子。明治4 (1871) 年上京して川上冬崖聴香読画館に入り,次いで工部美術学校に入学しアントニオフォンタネージに師事。 1878年同校を退学し浅井忠らと十一字会を組織,1887年不同舎を開いて後進を指導した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

こやま‐しょうたろう〔‐シヤウタラウ〕【小山正太郎】

[1857~1916]洋画家。新潟の生まれ。川上冬崖(かわかみとうがい)フォンタネージに師事。明治美術会の結成に参加。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

小山正太郎【こやましょうたろう】

洋画家。長岡に生まれ,上京して川上冬崖に入門。次いで工部美術学校でフォンタネージに師事。東京高等師範学校で教鞭をとるかたわら,私塾〈不同舎〉を開き,明治の西洋美術教育界の重鎮となった。
→関連項目青木繁石井鶴三荻原守衛小杉放庵坂本繁二郎中村不折満谷国四郎森田恒友吉田博

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小山正太郎 こやま-しょうたろう

1857-1916 明治-大正時代の洋画家。
安政4年1月21日生まれ。安政4年1月21日生まれ。小山吉郎・秋作の兄。川上冬崖(とうがい),フォンタネージにまなぶ。明治20年画塾不同舎をひらき,22年浅井忠らと明治美術会を結成。青木繁,坂本繁二郎らの弟子をそだてる。東京高師教授もつとめた。大正5年1月7日死去。60歳。越後(えちご)(新潟県)出身。代表作に「川上冬崖像」「仙台の桜」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

小山正太郎

没年:大正5.1.7(1916)
生年:安政4.1.21(1857.2.15)
明治期の洋画家。越後国(新潟県)長岡生まれ。長岡英学校に学び明治4(1871)年上京,川上冬崖の画塾聴香読画館に入る。7年にはアベル・ゲリノーに水彩画法などを学んだ。9年工部美術学校に入学,フォンタネージの指導を受け,翌年助手となる。11年同校を退学し浅井忠らと十一会を結成した。22年明治美術会の創立に参画,また画塾不同舎を主宰,中村不折,鹿子木孟郎ら多くの門弟を育てた。33年渡欧。初期文展の審査員を務めたほか,東京高等師範学校で教えた。作品に「仙台の桜」(新潟県立近代美術館蔵),「川上冬崖像」などがある。

(三輪英夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

こやましょうたろう【小山正太郎】

1857‐1916(安政4‐大正5)
洋画家。越後長岡に生まれる。1872年(明治5)川上冬崖の聴香読画館に入門。士官学校図画教授掛を経て,工部美術学校開設とともに入学。同校助手となるが,師フォンタネージの後任教師に不満をもち,同志と退校して十一字会を組織。明治中期の国粋保存,洋画排撃に対して,私塾不同舎を中心に洋画啓蒙の立場を貫く。松岡寿,浅井忠らと明治美術会を組織。東京師範学校で教鞭をとり,教科書編集など美術教育者として活躍する。内国勧業博や文展の審査にあたり,美術行政の上にも大きな足跡をのこしている。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

こやましょうたろう【小山正太郎】

1857~1916) 洋画家。新潟県生まれ。川上冬崖・フォンタネージに師事。画塾不同舎を設立。明治美術会の創立に参加。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小山正太郎
こやましょうたろう
(1857―1916)

洋画家。越後(えちご)国長岡に藩医の子として生まれる。1871年(明治4)上京し、翌年川上冬崖(とうがい)の聴香読画館に入り西洋画法を学ぶ。兵学寮に出仕し、また陸軍士官学校図画教授掛となるが、76年創設の工部美術学校に入学し、助手となる。78年フォンタネージの辞任後に退学し、浅井忠(ちゅう)らと十一会を結成。文部省図画取調委員となる。87年洋画塾不同舎を開いて後進を指導するほか、89年浅井、松岡壽(ひさし)らと明治美術会を結成し、評議員として尽くす。日清(にっしん)・日露の戦役に従軍。1907年(明治40)東京高等師範学校の図画科主任教授となり、美術教育家として大いに貢献したほか、文展審査員なども務めた。代表作に『川上冬崖像』『仙台の桜』『牧童』など。[小倉忠夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

小山正太郎の関連キーワード新潟県長岡市曙新潟県長岡市朝日新潟県長岡市浦新潟県長岡市御山町新潟県長岡市川口中山新潟県長岡市千秋新潟県長岡市宝新潟県長岡市中新潟県長岡市錦新潟県長岡市宮本東方町

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

小山正太郎の関連情報