吉田寺跡(読み)よしだじあと

日本歴史地名大系 「吉田寺跡」の解説

吉田寺跡
よしだじあと

[現在地名]上野市才良

通称別所べつしよ坂を少し登った小平地に比定される。「三国地志」に「善明寺吉田庵才良村」と記し、付近に谷ノ坊・池ノ坊・角ノ坊の地名が残る。明治初年まで小堂に薬師如来を安置していたが済口さいこう(臨済宗東福寺派)に合併された。「才良村地誌取調帳」に「持仏寺遺址字吉田谷」とあり、善明ぜんみよう寺・持仏じぶつ寺は別称か吉田寺の旧坊であろうか。

「五教章問答抄」(東大寺図書館蔵)奥書に「正和第二八月廿四日亥尅於伊賀国神戸吉田寺西方坊経蔵功畢、(中略)円宗末資沙門審乗俗年五十六」とあり、当寺の西方坊経蔵は東大寺僧凝然の弟子十悟房審乗によって正和二年(一三一三)建立されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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