戒壇院(読み)カイダンイン

デジタル大辞泉 「戒壇院」の意味・読み・例文・類語

かいだん‐いん〔‐ヰン〕【戒壇院】

戒壇の設けてある建物東大寺延暦寺などにある。

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精選版 日本国語大辞典 「戒壇院」の意味・読み・例文・類語

かいだん‐いん‥ヰン【戒壇院】

  1. 〘 名詞 〙 戒壇が設けられている建物。東大寺、延暦寺などのものが代表的。
    1. [初出の実例]「戒壇院設印、捺於戒牒」(出典日本三代実録‐貞観三年(861)三月八日)

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日本歴史地名大系 「戒壇院」の解説

戒壇院
かいだんいん

[現在地名]太宰府市観世音寺五丁目

観世音寺の南西隣にある。現在は臨済宗妙心寺派、宝珠山と号し、本尊は盧舎那仏。かつては観世音寺に属し、同寺四十九院の一。天平宝字五年(七六一)西海道諸国のために観世音寺に戒壇院が設置された(「帝王編年記」同年正月二一日条)。これにより西海道諸国の僧尼はここで戒を受けることが可能となった。延喜五年観世音寺資財帳によれば、戒壇院には板葺(かつては瓦葺)の築垣二面、檜皮葺の堂一宇、板葺の礼堂一宇、門屋二宇(瓦葺東門屋一宇・檜皮葺西門屋一宇)があり、貞観三年(八六一)・同一三年に破損し、一部修理されていた。観世音寺戒壇院における授戒は、同寺が奈良東大寺の末寺となった保安元年(一一二〇)以降も継続され、四月八日と一一月二八日の年二度の授戒が行われていた。安元元年(一一七五)春には弁阿弁長(浄土宗鎮西派の祖聖光)(聖光上人伝)、元暦元年(一一八四)四月八日には俊(泉涌寺不可棄法師伝)、永仁五年(一二九七)一一月二八日には固山一鞏(固山鞏和尚行状)、正安元年(一二九九)には月堂宗規が(石城遺宝附録)、それぞれ観世音寺戒壇院において受戒している。


戒壇院
かいだんいん

[現在地名]大津市坂本本町

大講堂の西にある天台宗僧侶の大乗菩薩戒受戒の根本道場。大乗戒壇院といい、九院十六院の一つ。最澄が終生の念願としていた戒壇設立はその没後七日目の弘仁一三年(八二二)六月一一日に勅許があり(叡山大師伝)、天長四年(八二七)創建された。最澄は弘仁九年、一乗仏教には一乗の戒がなければならないとして仏教史上かつてなかった小乗戒棄捨を宣言した。その主張する一乗戒は円頓戒・菩薩戒・仏性戒ともよばれ、法華の精神で梵網戒を護持するというもので、円頓戒はひとたびこれを授かれば、悪を止め善を修すという根本的な原動力(戒体)が得られ永く失われることなく(一得永不失)、仏性を顕現することができるとされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戒壇院」の意味・わかりやすい解説

戒壇院
かいだんいん

奈良市,東大寺の境内にある僧に戒を授ける建物。唐から来朝した鑑真が天平勝宝6 (754) 年東大寺大仏殿の前に建立して,聖武天皇以下 400人に戒を授けた戒壇を,まもなく大仏殿の西に移して堂宇を築いたのが戒壇院の初めである。そののち弘仁 13 (822) 年比叡山円頓戒壇を築いて天台の僧に授戒をするようになったが,本院はなおも隆盛をきわめた。のちたびたび火災にあい,現在の建物は享保 18 (1733) 年江戸霊雲寺の恵光の復興したもの。現在『四天王立像』 (国宝) を堂中に安置している。

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世界大百科事典(旧版)内の戒壇院の言及

【東大寺】より

…ことに後白河上皇を中心とする院や宮廷・公卿の援助,源頼朝を頂点とする武家などの助力により造営が行われ,教学,法会などの復興が行われた。再興なった戒壇院は,1446年(文安3)1月に講堂,戒壇堂などすべてが焼亡したが,のち再興された。しかし1508年(永正5)3月に炎上した講堂,三面僧坊は復興できず,以後子院の建立を促すことになった。…

※「戒壇院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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