鎌倉後期の東大寺戒壇院(かいだんいん)の学僧。姓は藤原氏。房号(ぼうごう)は示観(じかん)。伊予国(愛媛県)越智(おち)郡高橋郷の人。16歳のとき比叡山(ひえいざん)で菩薩戒(ぼさつかい)を受け、18歳で東大寺戒壇院に登壇し受戒した。その後、円照(えんしょう)、証玄(しょうげん)(1220―1292)に戒律、長西(ちょうさい)(1184―1266)に浄土教、宗性(そうしょう)(1202―1278)に唯識(ゆいしき)と華厳(けごん)、聖守(しょうしゅ)(1219―1291)に真言を学び、禅にも関心を示すとともに、国史、儒学、諸子百家の外典(げてん)にも精通していた。円照に次いで戒壇院長老となり、学問即行の立場で著述に専念するとともに、後学の指導にあたり、華厳、戒律の宣揚に努めた。著書は諸宗にわたり、『八宗綱要(はっしゅうこうよう)』をはじめ127部1200余巻を数えるが、『華厳探玄記洞幽鈔(たんげんきとうゆうしょう)』『梵網経疏日珠鈔(ぼんもうきょうしょにっしゅしょう)』など大著が多い。また三経義疏(さんぎょうぎしょ)の注釈、『三国仏法伝通(でんづう)縁起』など史伝や、声明(しょうみょう)などにまで及んでいる。元亨(げんこう)元年9月5日82歳で戒壇院に没す。
[納冨常天 2017年6月20日]
『『凝然大徳事績梗概』(1971・東大寺教学部)』▽『『愛媛文化双書14 沙門凝然』(1972・同書刊行会)』
鎌倉中期の東大寺戒壇院の僧侶。示観房と号する。凝然大徳,示観国師と敬称する。伊予国高橋郷に生まれ,1255年(建長7)比叡山で菩薩戒を受け,18歳のとき東大寺戒壇院で受戒,以後師円照に師事して律宗を研究するかたわら,華厳を当寺尊勝院宗性に,真言を円照の兄聖守などに,浄土を法然の高足九品寺の長西に,さらに禅・北京律を東福寺・泉涌寺において研修した。29歳で《八宗綱要》を著作してから82歳で没するまで,その著書は実に120余部,1200余巻にも及んだと伝え,内典(仏典)のみでなく,音楽・諸子百家にも該通した希代の学僧であった。31歳のとき師円照に代わって戒律の講義を始め,37歳のときには《梵網戒本疏日珠鈔》50巻の著作を始め,38歳円照の死去にともなって戒壇院長老となった。以後《華厳経》の研究も開始し,1283年(弘安6)9月には唐・法蔵の華厳五教章の開板を行い,1307年(徳治2)11月後宇多院に菩薩戒を授け,11年(応長1)には,その著《三国仏法伝通縁起》などを後宇多法皇の叡覧に供した。その学識は〈本朝の十宗,研覈(けんかく)(研究)せざるはなし〉とさえいわれ,その広い学識に立って,各宗主要な論著に対して総合的な見解を述べている。78歳のとき中風にかかったが,なお著述の筆をおかなかった。門下には久米田寺禅爾,称名寺湛睿,戒壇院禅明などがあり,今日,その遺著の多くは東大寺図書館に収蔵され,重要文化財に指定されている。
執筆者:堀池 春峰
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(松尾剛次)
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…凝然(ぎようねん)著。1311年(応長1)東大寺戒壇院で述作。…
…東大寺戒壇院の学僧凝然(ぎようねん)が,1268年(文永5)1月,故郷の伊予国円明寺で,日本の八宗について概説した著作。上下2巻よりなる。…
※「凝然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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