凝然(読み)ギョウネン

デジタル大辞泉 「凝然」の意味・読み・例文・類語

ぎょうねん【凝然】

[1240~1321]鎌倉後期の華厳宗の僧。伊予の人。あざなは示観。各宗の教義に精通。後宇多上皇菩薩戒を授け、東大寺戒壇院の長老となった。著述1200余巻といわれ、「八宗綱要」「浄土源流げんる章」「三国仏法伝通縁起」などがある。

ぎょう‐ぜん【凝然】

[ト・タル][文][形動タリ]じっとして動かないさま。
「―として彫塑の如くたたずめり」〈芥川・開化の殺人〉
[類語]じっとつくねんどっかと

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精選版 日本国語大辞典 「凝然」の意味・読み・例文・類語

ぎょう‐ぜん【凝然】

  1. 〘 形容動詞ナリ活用タリ 〙 じっとして少しも動かないさま。
    1. [初出の実例]「戒体凝(ゲウ)然として」(出典:雑談集(1305)一)
    2. 「何を見るともなく凝然と見定めた眼の前に」(出典:或る女(1919)〈有島武郎〉前)
    3. [その他の文献]〔李咸用‐昇天行〕

ぎょうねん【凝然】

  1. 鎌倉後期の華厳宗の僧。藤原氏伊予国愛媛県)の人。比叡山で菩薩戒(ぼさつかい)を受け、円照、長西、宗性などに師事。東大寺戒壇院長老となり、国師号を与えられる。諸宗にくわしく、「八宗綱要」「浄土法門源流章」「三国仏法伝通縁起」などの著がある。延応二~元亨元年(一二四〇‐一三二一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「凝然」の意味・わかりやすい解説

凝然
ぎょうねん
(1240―1321)

鎌倉後期の東大寺戒壇院(かいだんいん)の学僧。姓は藤原氏。房号(ぼうごう)は示観(じかん)。伊予国(愛媛県)越智(おち)郡高橋郷の人。16歳のとき比叡山(ひえいざん)で菩薩戒(ぼさつかい)を受け、18歳で東大寺戒壇院に登壇し受戒した。その後、円照(えんしょう)、証玄(しょうげん)(1220―1292)に戒律、長西(ちょうさい)(1184―1266)に浄土教、宗性(そうしょう)(1202―1278)に唯識(ゆいしき)と華厳(けごん)、聖守(しょうしゅ)(1219―1291)に真言を学び、禅にも関心を示すとともに、国史儒学、諸子百家の外典(げてん)にも精通していた。円照に次いで戒壇院長老となり、学問即行の立場で著述に専念するとともに、後学の指導にあたり、華厳、戒律の宣揚に努めた。著書は諸宗にわたり、『八宗綱要(はっしゅうこうよう)』をはじめ127部1200余巻を数えるが、『華厳探玄記洞幽鈔(たんげんきとうゆうしょう)』『梵網経疏日珠鈔(ぼんもうきょうしょにっしゅしょう)』など大著が多い。また三経義疏(さんぎょうぎしょ)の注釈、『三国仏法伝通(でんづう)縁起』など史伝や、声明(しょうみょう)などにまで及んでいる。元亨(げんこう)元年9月5日82歳で戒壇院に没す。

[納冨常天 2017年6月20日]

『『凝然大徳事績梗概』(1971・東大寺教学部)』『『愛媛文化双書14 沙門凝然』(1972・同書刊行会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「凝然」の意味・わかりやすい解説

凝然 (ぎょうねん)
生没年:1240-1321(仁治1-元亨1)

鎌倉中期の東大寺戒壇院の僧侶。示観房と号する。凝然大徳,示観国師と敬称する。伊予国高橋郷に生まれ,1255年(建長7)比叡山で菩薩戒を受け,18歳のとき東大寺戒壇院で受戒,以後師円照に師事して律宗を研究するかたわら,華厳を当寺尊勝院宗性に,真言を円照の兄聖守などに,浄土を法然の高足九品寺の長西に,さらに禅・北京律を東福寺・泉涌寺において研修した。29歳で《八宗綱要》を著作してから82歳で没するまで,その著書は実に120余部,1200余巻にも及んだと伝え,内典(仏典)のみでなく,音楽・諸子百家にも該通した希代の学僧であった。31歳のとき師円照に代わって戒律の講義を始め,37歳のときには《梵網戒本疏日珠鈔》50巻の著作を始め,38歳円照の死去にともなって戒壇院長老となった。以後《華厳経》の研究も開始し,1283年(弘安6)9月には唐・法蔵の華厳五教章の開板を行い,1307年(徳治2)11月後宇多院に菩薩戒を授け,11年(応長1)には,その著《三国仏法伝通縁起》などを後宇多法皇の叡覧に供した。その学識は〈本朝十宗研覈けんかく)(研究)せざるはなし〉とさえいわれ,その広い学識に立って,各宗主要な論著に対して総合的な見解を述べている。78歳のとき中風にかかったが,なお著述の筆をおかなかった。門下には久米田寺禅爾,称名寺湛睿,戒壇院禅明などがあり,今日,その遺著の多くは東大寺図書館に収蔵され,重要文化財に指定されている。
執筆者:

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普及版 字通 「凝然」の読み・字形・画数・意味

【凝然】ぎようぜん

静かなさま。唐・李咸用〔昇天行〕詩 河邊の牛子、星牽(ひ)き 三の宮殿、ぶ 玉皇案に據りて、方(まさ)に凝然たり 仙官仗を立てて、幡(どうはん)森(しん)たり

字通「凝」の項目を見る

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朝日日本歴史人物事典 「凝然」の解説

凝然

没年:元亨1.9.5(1321.9.26)
生年:仁治1.3.6(1240.3.30)
鎌倉後期の律僧。優れた記憶力を持ち「歩く仏教百科全書」といえるほど諸宗の教学・歴史に精通。諱 は凝然,字は示観房。伊予国越智郡(愛媛県今治市)藤原氏の出身。16歳のときに延暦寺戒壇院(滋賀県大津市)で受戒し,18歳のときには東大寺戒壇院(奈良市)で受戒する。20歳で遁世し,唐招提寺系の律僧である円照を師とする。彼は律僧で華厳などを兼学する僧であった。律・華厳・法相・天台・浄土などの諸宗に通じ,『八宗綱要』,『三国仏法伝通縁起』などの著書があり,その数は127部1200巻余といわれる。唐招提寺,東大寺戒壇院の長老となる。<参考文献>新藤晋海編『凝然大徳事蹟梗概』

(松尾剛次)

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百科事典マイペディア 「凝然」の意味・わかりやすい解説

凝然【ぎょうねん】

鎌倉時代の学僧。伊予(いよ)の人。大徳と敬称。18歳で東大寺戒壇院で受戒,以後律宗を研究するかたわら,華厳(けごん)・浄土などを修めた。著書《八宗綱要》《三国仏法伝通縁起》《五教章通路記》等。
→関連項目華厳宗宗性東大寺図書館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「凝然」の解説

凝然 ぎょうねん

1240-1321 鎌倉時代の僧。
延応2年3月6日生まれ。延暦寺(えんりゃくじ)戒壇院で受戒し,奈良東大寺の円照に師事。華厳(けごん),倶舎(くしゃ),律,三論,法相(ほっそう),天台,真言,禅の各宗に精通した学僧として知られ,「八宗綱要」「三国仏法伝通縁起」など広範囲にわたる著作をのこした。東大寺戒壇院長老,唐招提寺長老。元亨(げんこう)元年9月5日死去。82歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。諡号(しごう)は示観国師。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「凝然」の意味・わかりやすい解説

凝然
ぎょうねん

[生]仁治1(1240).3.6. 伊予
[没]元亨1(1321).9.5. 奈良
鎌倉時代の華厳宗の僧。 18歳で出家,以後東大寺戒壇院で講じた。仏教諸宗のほか中国古典にも広く通じており著書は一千余巻に達した。華厳関係が中心であるが,仏教概論として有名な『八宗綱要』 (2巻) ,『内典塵露章』 (1巻) などもある。

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367日誕生日大事典 「凝然」の解説

凝然 (ぎょうねん)

生年月日:1240年3月6日
鎌倉時代後期の律僧;東大寺戒壇院主
1321年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の凝然の言及

【三国仏法伝通縁起】より

…3国すなわちインド,中国,日本における仏法伝通に関して述べた仏教史。東大寺凝然の著。3巻。…

【浄土法門源流章】より

凝然(ぎようねん)著。1311年(応長1)東大寺戒壇院で述作。…

【八宗綱要】より

…東大寺戒壇院の学僧凝然(ぎようねん)が,1268年(文永5)1月,故郷の伊予国円明寺で,日本の八宗について概説した著作。上下2巻よりなる。…

※「凝然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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