和食町(読み)わじきまち

日本歴史地名大系 「和食町」の解説

和食町
わじきまち

[現在地名]鷲敷町和食

那賀川右岸付近に位置し、和食村に含まれることもある。慶長二年(一五九七)の分限帳には山田彦八郎知行分のうちに城(仁宇城か)廻高二四石余がみえ、これは当地のことと思われる。同八年の和食村検地帳から町分を書抜いた和食町検地帳(文化六年写、松浦家文書)によると田反別六反余・高三石余、畑反別四町四反余・高二七石余。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高三〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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