仁宇谷(読み)にうだに

日本歴史地名大系 「仁宇谷」の解説

仁宇谷
にうだに

那賀郡内の那賀川上・中流地域のことをさし、仁宇山ともいう。近世の仁宇谷は阿瀬比あせび(現阿南市)和食わじき町・和食村・土佐とさ町・中山なかやま村・仁宇村・小仁宇こにう村・阿井あい村・百合もまえ村・百合谷もまえだに(現鷲敷町)朴野ほおの村・蔭谷かげだに村・花瀬はなぜ村・日浦ひうら村・大久保おおくぼ村・横石よこいし村・吉野よしの村・牛輪うしわ村・鮎川あいかわ村・延野のぶの村・朝生あそう村・やなうえ村・はち村・おんどり村・入野いりの村・谷内たにうち村・平野ひらの村・馬路うまじ村・たに村・榎谷えのきだに村・相名あいな村・内山うちやま村・たけたに村・うけたに村・西納にしなう(現相生町)音谷おんだに村・うすたに村・桜谷さくらだに村・水崎みさき村・小浜こはま村・檜曾根ひそね村・東尾ひがしお村・菖蒲しようぶ村・長安ながやす村・日真ひま村・拝宮はいぎゆう(現上那賀町)出羽いずりは村・当山とうやま村・木頭きとう村・坂州さかしゆう村・木頭名きとうみよう村・阿津江あづえ村・懸盤かけばん村・横谷よこだに村・川成かわなり村・沢谷さわだに村・小畠おばたけ村・岩倉いわぐら村・小泉こいずみ村・寺内てらうち村・高野たかの(現木沢村)の五七ヵ村二町で、このうち内山村・相名村は西納村の枝村となっている。一般に仁宇谷五八ヵ村ともいわれる。那賀川上流域は那賀郡のほか海部かいふ郡にも含まれ木頭山と称されていたが、同じ那賀川流域として産物や生活必需品の流通などの関係が深かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「仁宇谷」の意味・わかりやすい解説

仁宇谷
にうだに

「丹生谷」とも書く。徳島県中央部を流れる那賀(なか)川の上・中流部の地域。那賀郡の旧鷲敷(わじき)町・相生(あいおい)町・上那賀町木沢(きさわ)村・木頭(きとう)村にまたがり、その5町村は合併して那賀町となっている。最下流部の旧鷲敷町が仁宇谷の入口にあたる。県内屈指の林業地帯であるが村外地主の所有林が多い。第二次世界大戦後、那賀川電源開発によって長安口(ながやすぐち)ダムなどが建設され、那賀川沿いを走る国道195号が高知県境の四ツ足峠トンネルを経て物部(ものべ)川流域に達するなど、かつての隔絶山村も変化している。1819年(文政2)徳島藩主の巡行の費用賦課に抗して、仁宇谷の百姓3000人が阿井の磧(かわら)に集合したことは仁宇谷一揆(いっき)として知られる。

[高木秀樹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の仁宇谷の言及

【那賀川】より

…谷底平野はほとんどなく,中・上流域では河岸段丘が発達し,段丘上に集落が立地する。上流域の木頭村,木沢村,上那賀町はいわゆる木頭林業地帯(木頭)をなし,これに中流域の相生町,鷲敷(わじき)町を加えた地域は通称〈仁宇谷(丹生谷)(にうだに)〉といい,これに対して木材の集散地である下流域の羽ノ浦(はのうら)町,那賀川町は〈川北〉と通称される。明治30年ごろから材木業者が上・中流域の林業地帯に目をつけ,伐採・搬出が盛んとなったが,利益は少数の山主に独占された。…

※「仁宇谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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