日本歴史地名大系 「善光寺村受」の解説 善光寺村受ぜんこうじむらうけ 新潟県:西蒲原郡西川町善光寺村受[現在地名]西川町善光寺村受もと大野(おおの)と称し、鎧(よろい)潟・田(た)潟・大(おお)潟縁辺の村々の田を水害から守る遊水場であり、寛永四年(一六二七)以後開発を禁止され、御封印野(ごふういんの)と改称された地域にある善光寺村の村請新田。延享元年(一七四四)漆山(うるしやま)村(現巻町)割元藤右衛門・曾根(そね)村割元多左衛門・中野小屋(なかのこや)村(現新潟市)割元久兵衛の三人を代表に潟縁三七ヵ村が願出て開発し、幕府領であった御封印野を宝暦元年(一七五一)に検地して、一二ヵ村に分割し、それぞれ村請になった新田の一つ。同年の御封印野新田検地帳(善光寺区有文書)では石高二二六石余・反別二〇町八反余、うち村持二町五反余のほか、三六人持である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by