西川町
にしかわまち
面積:三九三・九〇平方キロ
西村山郡北部に位置し、東は寒河江市,南は大江町・朝日町で、一部西置賜郡小国町と接する。北は最上郡大蔵村と一部東田川郡立川町・羽黒町、西は東田川郡朝日村と一部新潟県岩船郡朝日村と接する。南西に朝日岳があり、主峰大朝日岳から流れ下る根子川はやがて寒河江川となって北流し、北からの大越川を合せて東流する。寒河江川上流と大越川の流路は、南北方向の断層線谷である。寒河江川は月山沢から東流し、本道寺まで深い谷をつくるが、それから東は河岸段丘が形成され、集落が多くなる。町域は寒河江川上流から中流までを占める。西部は出羽山地から朝日山地までを含み、二〇〇〇メートル近い高度の山地である。東進するにつれて高度は減ずるが、町域の九一パーセントは山林で占められる。寒河江川に沿って六十里越街道があり、古くから庄内と内陸を結ぶ交通路であった。また出羽三山参詣行人の通路で、登拝口として大井沢・本道寺・岩根沢の三集落がある。
西川町
にしかわちよう
[現在地名]函館市東川町・豊川町・栄町・旭町・大手町
明治五年(一八七二)二月に一町として公認された町(同年「御達留」市立函館図書館蔵、「事業報告」第一編)。願乗寺川の西岸(右岸)に沿い、龍神町の南、蔵前町の東に位置した。願乗寺川は堀川ともよばれ、水利に乏しい函館半島砂頸部の便のために、安政六年(一八五九)に願乗寺(現本願寺函館別院)の堀川乗経(法恵)が開削した新渠。乗経は本山の許可を得て幕府に出願し、工事は同年一一月に竣工した。亀田川から分水、中の橋からは南西方に直流し、地蔵町三丁目・四丁目境の裏手で高田屋開削の排水堀に注いで函館湾に落水した。
西川町
にしかわまち
面積:二四・二七平方キロ
西蒲原郡の北部、新潟市の南端に連なる。東は黒埼町・潟東村、南と西は巻町に接する。信濃川分流の西川が中央を北流する。かつては沼や潟の多い低湿地帯であった。集落は西川の自然堤防上に位置する。西川と新川(元早通川)に挟まれた東域は、もとの鎧潟と田潟の間に広がる低湿地で、近世のいわゆる三潟悪水抜き工事後に開拓された新田が多く、現大字名にその名をとどめる。近世は長岡藩に属し、曾根には同藩の代官所が置かれ、近隣五十数ヵ村を統轄した。西川舟運の河岸町・市場町としても栄え、鎧潟周辺の西川米の集散地でもあった。稲作を主とする農業地帯であるが、新潟市に隣接し、国鉄越後線・国道一一六号が通じるため、近年は同市のベッドタウンとして住宅地化が進み、また国道沿いの工場進出も著しい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
西川〔町〕
にしかわ
山形県中央部,出羽山地の寒河江川中流域にある町。寒河江市の西に位置し,南西部で新潟県に接する。 1954年大井沢村,本道寺村,川土居 (かわどい) 村,西山村が合体し町制。 1949年西山村と川土居村が組合立中学校を設置し,両村の頭文字をとって西川中学校としたことが地名の由来。中央部を六十里越街道 (国道 112号線) が寒河江川に沿って東西に通る。町域のほとんどが森林地帯。西山から肘折 (ひじおり) にかけて銅を主とする鉱床が広がり,かつて高旭 (たかひ) ,見立鉱山があったが閉山された。沼山,吉川,白岩などに水路式発電所があり,多目的ダムの寒河江ダムが建設された。北西部から南西部にかけての山岳地帯は磐梯朝日国立公園に属する。面積 393.19km2。人口 4956(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 