日本歴史地名大系 「善知鳥番所跡」の解説
善知鳥番所跡
うとうばんしよあと
享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「善知鳥村家員三軒 内一軒は御番所 南部領御境也」とある。
天和元年(一六八一)の領中大小道程帳(秋田県庁蔵)に「善知鳥村より境目松坂峠迄山坂難所牛馬不通」とあり、谷の両側は急斜面となる峠道であった。文化一二年(一八一五)の「秋田風土記」に「元南部小道留番処在、今なし」と消滅を伝えるが、文政一二年(一八二九)六月の「御境口勤形之儀、村々江被仰渡候事」(秋田藩町触集)に「向触無之御領内通行之旅人、御境口御番所に而人数、名前、何方江罷通候旨書付為差出、御境御番所用判可相渡候」と番所の役を記し、善知鳥の名もあるので、その後復活したものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報