千屋村(読み)せんやむら

日本歴史地名大系 「千屋村」の解説

千屋村
せんやむら

[現在地名]千畑村千屋

真昼(まひる)岳の西の山麓、丸子(まるこ)川と真昼川の複合扇状地にある。東の善知鳥(うとう)村を経て盛岡藩領と接し、南西の六郷(ろくごう)(現六郷町)、北の本堂城廻(ほんどうしろまわり)に至る交通の要衝にある。北は元本堂(もとほんどう)村、南は金沢東根(かねざわひがしね)村に接する。

天正一八年(一五九〇)の従秀吉公賜于忠親羽州本堂領御朱印之写(本堂家系譜)に、

<資料は省略されています>

とあり、本堂氏の領地として秀吉から承認された。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には仙屋とあり一千四四九石が記される。


千屋村
ちやむら

[現在地名]新見市千屋

実(さね)村の西、高梁(たかはし)川右岸に位置し、哲多(てつた)郡所属。村域はほとんど山地で、原(はら)・中谷(なかだに)・代城(だいじよう)・朝間(わさま)・神原(かんばら)・二(ふ)タ越(ごし)の集落が点在。西の釜(かま)村(現阿哲郡神郷町)との境に天銀(てんぎん)山(九八〇・三メートル)がある。中世には釜村や南の坂本(さかもと)村などとともに新見庄に含まれ、正中二年(一三二五)の新見庄地頭方東方田地実検取帳(東寺百合文書)などの関連史料に、則元・公文・根島・中谷・ワサマ(朝間)・助依・セキヤ谷などの当地の地名や倉島(くらしま)社・赤子社・剣社がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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