善積庄(読み)よしづみのしよう

日本歴史地名大系 「善積庄」の解説

善積庄
よしづみのしよう

和名抄」にみえる善積郷の地に成立したとみられる庄園。初め円勝えんしよう(跡地は京都市東山区)領。文治二年(一一八六)二月二九日善積庄は源頼朝から中原(宇都宮)信房に与えられた。当庄は円勝寺領ではあるが、頼朝は信房の所望により信房の父宗房の旧労に報いるため宛行ったという(吾妻鏡)。その後の経緯は不明だが、建長五年(一二五三)焼失した比叡山実相じつそう院の造営料所に充てられており、同年頃には実相院領となっていた(天台座主記)。正中二年(一三二五)の承鎮法親王付属状(三千院文書)にも実相院領としてあげられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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