古代・中世の皇室や伊勢神宮などの大神社に付属する,食料品調達にかかわる所領。平安時代末から鎌倉時代ごろには荘園とほとんど変わらないものとなったが,本来は荘園のような所領ではなく,厨は台所を意味し,むしろ供御(くご)物や神饌を調達するために,皇室や神社に所属した山民・海民集団の構成する機関とでもいうべき実態のものであった。御厨の名称は文献上では8世紀末ごろから見られるが,近江国筑摩(つかま)/(ちくま)御厨のように天智天皇時代に建立されたという伝承をもつものもあり,実際にはもっと古くから存在していたと考えられる。古代の律令体制の下で天皇の穀類以外の食料品調達を支えていたのは,大膳職のち内膳司に従属する雑供戸(贄戸(にえこ)とも呼ばれ,江人,網引,鵜飼などからなる)の貢進物や諸国が貢進する贄などであった。雑供戸は律令制下の身分は品部(しなべ)であったが,時代が下るに従い一般公民となり,9世紀末にはもともとの品部の系譜を引くもの以外の者も含む贄人として再編成されるようになった。
雑供戸,贄人らの活動の場である山野河海は,令制では〈公私共利〉が原則であったが,その一部を禁野,禁河,禁海などとして一般の採取を禁止し,贄戸,贄人に優先的採取権を与えるのが慣行であった。しかししだいに禁猟区の恒常化や貴族,神社の私的厨の増加によって山野河海の囲込みの弊害が著しくなっていった。そこで902年(延喜2)延喜の荘園整理令の一部をなす御厨整理令が出されたが,その基本的主眼は内膳司本来の御厨の贄採取を保護することであった。これをうけて905年,内膳司に所属する雑供戸の系譜を引く贄人たちは,蔵人所牒によって朝廷から広大な水面で活動する特権を付与された。内膳司御厨の系譜を引き,のち御厨子所(みずしどころ)などに属した河内国大江御厨,摂津国津江御厨,和泉国網曳(あびこ)御厨が,いずれもこの時点で〈建立〉されたと伝えるのは,この時期が御厨の再編成の重要な画期であったことを示す。例えば大江御厨が,河内国の〈国中池河津等〉を御厨領とし,ここで漁業上の優先権をもつ漁民の集団をその実態としていたように,この時点での御厨の実態は,一定の領域内の水面での活動に関する特権をもつ贄人集団を指すものであった。以上は皇室領の御厨についての事実であるが,神社領の御厨についても事情は同じであった。例えば下鴨社(賀茂御祖(かもみおや)神社)に属する網人たちは,櫓棹の通う道,浜はすべて鴨社の供祭(くさい)所として漁業活動を保障する特権を与えられ,摂津国長渚(ながす)(長洲御厨),近江国堅田を拠点として活動しており,皇室に所属する贄人とまったく同質の活動特権をもっていたことがわかる。
1069年(延久1)に贄貢進制の決定的な改革が行われ,諸国の贄は御厨子所預(あずかり)の管理する御厨,御薗(みその)の負担するところとなった。これと並行して,贄人たちは供御人(くごにん)と呼ばれるようになり,荘園における下司をはじめとする職人(しきにん)と同様に在家,免田を与えられるようになり,御厨には四至(しいし)が定められるようになった。こうして御厨は急速に荘園としての実態をもつようになり,平安末には名称は御厨というものの,実態は荘園と同質の存在となっていった。
また伊勢神宮では神饌を調達し貢納物を収納する建物も御厨と称したが,旧来の御厨に加えて11世紀後半以降,東国を中心に荘園としての御厨が多く寄進されて増加し,13世紀初めの《神宮雑例集》では御薗と合わせて450余所と記されている。
執筆者:勝浦 令子
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皇室および伊勢(いせ)神宮、賀茂(かも)神社などの神社への供膳(きょうぜん)と供祭(くさい)のための魚菜類を貢進することを目的に、おもに漁民を対象に設けられたもの。厨は調理所の意で、御厨も初めはその屋舎をさしたが、のち貢進を担う所領の意味となり、10世紀以降、田畠を中心とする荘園(しょうえん)と同質化の方向に進んだ。
皇室にかかわる御厨としては、大和(やまと)の吉野御厨、摂津の津江(つえ)御厨、河内(かわち)の大江御厨、和泉(いずみ)の網曳(あびこ)御厨、近江(おうみ)の筑摩(ちくま)御厨などがあり、宮内省の大膳職(だいぜんしき)のもとにあったが、平安時代初期に内膳司(し)の管下に入った。荘園と同質化してからのこれらの御厨は、内膳司領に網曳御厨、御厨子所(みずしどころ)領に大江御厨、津江御厨などが属した。なお、14世紀の内蔵寮(くらりょう)の所領の内には摂津の大江御厨、河内の河俣(かわまた)御厨、大江御厨がみえている。伊勢神宮では神郡(しんぐん)の行政のために神(かんだち)が設けられていたが、孝徳(こうとく)天皇(在位645~654)のときに神だちの名称を改めて御厨としたという。御厨には贄(にえ)が納められ、また祭の後の大饗(たいきょう)もここでなされた。こうしたことから贄を出す土地を島抜(しまぬき)御厨(三重県津市)とか衣比原(えびはら)御厨(四日市市)など御厨とよぶようになった。鎌倉期の『神宮雑例集』は御厨、御園(みその)(野菜・果物類を貢進する)あわせて450余とし、内宮(ないくう)領200余、外宮(げくう)領130余、二宮領110余とその内訳を記している。神宮の御厨は11世紀以降、東海・東国の在地領主から寄進されるものが多くなる。下総(しもうさ)の相馬(そうま)御厨、相模(さがみ)の大庭(おおば)御厨などはその例である。
賀茂神社の上社(かみしゃ)では近江の安曇川(あどがわ)御厨、播磨(はりま)の塩屋御厨、紀伊の紀伊浜御厨、越中(えっちゅう)の新保(しんぼ)御厨、下社では山城(やましろ)の宇治御厨、摂津の長渚(ながす)(洲)御厨、近江の堅田(かたた)御厨、周防(すおう)の佐河牛嶋(うしま)御厨などの御厨があった。これら賀茂社の御厨は、伊勢神宮の御厨が東海・東国を中心に分布していたのに対し、瀬戸内海を中心にした西国に分布していた。
なお、神宮では魚菜の供進の中心をなしたのは海に面した志摩(しま)国の御厨であった。賀茂の御厨は、そこに多くの浦を含んでいることに明らかなように、魚類の供進を目的としたものであった。御厨内の浦を中心に活動した網人(あみびと)には漁業について多くの特権が認められていた。これら賀茂社の御厨も11世紀以降、網人の免田畠を中心に荘園化し、網人たちは供祭人(くさいにん)として、その特権を保持しながら活動を続けた。
[西垣晴次]
長崎県松浦市(まつうらし)に属する1地区。松浦市の中西部、星鹿半島(ほしかはんとう)の基部に位置し、海岸に沿って長い街村を呈する。明治・大正期には御厨村、昭和期には星鹿村と合併した新御厨町の中心集落で、役場が所在した。平安末期この地には、伊勢(いせ)神宮領といわれる宇野御厨が置かれたが、その贄人(にえびと)であった松浦(まつら)一族らの開発によって荘園(しょうえん)化し、鎌倉時代には御厨荘とよばれるようになった。この地は荘官となった松浦氏が荘政所(役所)を置いた所か、あるいは特産の貢牛(こうぎゅう)を積み出した港ではなかったかと推定されるが確証はない。地区内の姫神社(ひめじんじゃ)には伊勢の内宮(ないくう)の分霊が祀(まつ)られている。
[石井泰義]
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伊勢神宮や上賀茂・下鴨神社が神領として領有する中世荘園。本来は天皇家や摂関家・伊勢神宮などへの供御(くご)としての魚介類を貢納する建物や場所を意味した。古代には供御の魚介類の貢納は,贄戸(にえこ)編成によったが,平安時代には贄人(にえひと)およびその居住地が貢納の対象となった。さらに11世紀以降には,贄人は供御人として活動上の特権を保障され,贄の貢納はその代償的なものとなった。この過程で,贄人の生業場所である河海や居住地域周辺の耕地が囲いこまれ,領域型荘園としての御厨が成立した。伊勢神宮領の御厨は全国数百カ所に分布した。
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…山城(京都府)の賀茂神社(上賀茂・下鴨両社)が各地に領有した御厨(みくりや)の住民で,漁猟に従事し,供祭物(神前への供物)としての魚類の貢進を任とした人々。1090年(寛治4)白河上皇が賀茂両社にそれぞれ不輸田600余町を寄進するとともに,御厨を諸国に分置したが,それ以前からのものも含め,両社は琵琶湖岸や瀬戸内海周辺に多くの御厨を領有した。…
…令制下では,品部として大膳職(のち内膳司)に属した雑供戸(贄戸ともいい,江人,鵜飼,網引など)や海部(あまべ)などが貢納するもの,諸国から国,郡,里(郷)単位を中心として貢納するものなど,多様な形態で貢納された。《延喜式》の内膳式では諸国貢進御贄(宮内式の諸国所進御贄にほぼ対応し,節料,旬料など御厨(みくりや)や畿内近国を中心とした貢納),年料(宮内式の諸国例貢御贄とほぼ対応する,大宰府を含む諸国からの貢納)として贄の細かい品目,数量,貢納期日などを指定している。しかし現実には,9世紀ごろから他の租税と同様に諸国からの貢納は停滞する傾向にあり,畿内を中心とする御厨からの貢納に依存する度合が強くなり,品部を解放された贄戸の系譜を引くもの以外の人々も含む贄人が採取貢納の中心となった。…
※「御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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