日本歴史地名大系 「善雲寺」の解説 善雲寺ぜんうんじ 兵庫県:城崎郡日高町上石村善雲寺弘安八年(一二八五)の但馬国太田文に、「善雲寺 六町四反二百五十分」とみえ、「領家染殿 国別当」「地頭楽前藤内兵衛入道了一」の注記があり、寺田の内訳は供僧田一町八反、別当分九反(「内七反ハ仏神役有之、二反ハ承仕給云々」)、定田三町五反二五〇歩である。地頭は太多(ただ)庄および比曾(ひそ)寺の地頭と同人。比定地は未詳であるが、永禄二年(一五五九)八月二三日に「善雲寺野合戦」があり、場所は水生(みずのお)城下かと考えられている(→伊福村 →水生城跡)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by