日本歴史地名大系 「喜名村」の解説 喜名村ちなーむら 沖縄県:沖縄島中部読谷村喜名村[現在地名]読谷村喜名(きな)・親志(おやし)現読谷村北部にある。北は恩納(うんな)間切古読谷山(ふるゆんたんざ)村(現恩納村)、南は伊良皆(いらんま)村、西は座喜味(ざちみ)村。南北に西海道(現国道五八号)が通り、同道宿場町として栄え、イリバル、シミチ、ティルの三集落が合併して成立したと伝える。読谷山(ゆんたんじや)間切番所が置かれ、間切の中心的役割を果した。「おもろさうし」巻一五の七五に「一 きなわ大みやに(喜名大庭で)/きなわひろみやに(喜名広庭で)/てたきよら つかい(日子美らを招待)/又 けおのよかるひに(今日の良き日に)/又 けおのきやかるひに(今日の輝く日に)」とみえる。また同書巻一四の五九には「きなわ大みや」のほか「きなわちやうくち(喜名門口)」がみえる。絵図郷村帳には「きな村」とある。琉球国高究帳には喜那村とみえ、高頭三四七石余、うち田一一八石余・畠二二九石余。山沿いの田圃が多い。喜名ノロ崇所の西森(地元ではウタキという)のほか喜名(ちなー)巫火神・泉川(いじゆんじやー)・喜名(ちなー)之殿がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by