古代律令制下の官道。地方行政区画としては五畿七道の一つで、筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩の九ヵ国と壱岐・対馬の二島からなる(「延喜式」民部上)。古代の律令政府は、地方支配のため諸国に設置された国府とを結ぶために東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七つの官道を設定し、三〇里(約一六キロ)ごとに駅を設けた。各道は重要度に従って山陽道を大路、東海道・東山道を中路、他を小路として、駅ごとに大路は二〇疋、中路は一〇疋、小路は五疋の駅馬が配備された(「令義解」厩牧令・置駅馬条)。西海道は他の六道が京を中心にして地方に向かって放射状に延びていたのに対し、「遠の朝廷」と称された大宰府を中心として、山陽道と連絡する大宰府路、
古代の官道。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条には肥前国に駅馬を置く一五ヵ駅(別に伝馬一駅)が記される。うち
新分駅を
律令制下における官道。山陽道
律令政府はその中央集権体制を維持するために、都と各国府との間で緊密な命令伝達と情報収集を行っていた。そのため数多くの役人が命令書や報告書を携えて都と各地方出先機関の間を往来した。政府はこうした役人や政府への貢納物を運搬する人々に便宜を供するため官道や駅伝制度を整備し、都と各国府を結ぶ六本の幹線道路が都から放射状に設定された。これらの官道が東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道で、九州には西海道という官道が設定された。こうした官道に沿った地域は広域ブロックとして官道と同じ名前でよばれた。律令制度のもとの畿内七道制がそれである。こうした広域ブロックにはまれに節度使や観察使などが設置・派遣され、行政の単位として扱われることもあったが、西海道を除いて一般に恒常的な行政単位として機能することはなかった。畿内七道のなかでは西海道のみが恒常的に行政単位として機能していた。
律令制下、九州に設定された官道。古代における幹線道路で、駅路ともよばれて三〇里(約一六キロ)ごとに駅家が設置された。また西海道をはじめとする七道は広域ブロックの名称でもあったが、七道のなかでは西海道のみが恒常的に行政単位として機能し、大宰府が統括していた。駅路には大路・中路・小路があった。西海道は小路に分類され、駅ごとに五疋ずつの馬が置かれ(「延喜式」兵部省)、駅には駅起田などの独自財源が設定されて駅戸も置かれていた。駅馬を利用する場合は駅鈴が必要とされ、大宰府には二〇口、大上国には三口、中下国には二口が与えられていたが、薩摩国・大隅国は中国とされていたので駅鈴二口が支給されていたものと思われる。
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日本古代の地方行政区画の七道(五畿七道)の一つ。現在の九州地方。西海道の名称は701年(大宝1)が初見であるが,それ以前この地域は筑紫(つくし),西道などと記された。《西宮記》では〈ニシノミチ〉〈ニシノウミノミチ〉と読んでいる。日本の西端にあり朝鮮半島や中国大陸への玄関口に当たるため,古くから文化流入の上ばかりでなく外交面でも重要な位置にあった。6世紀ころに筑紫大宰(つくしのおおみこともち)が置かれ,北九州を中心とする地域の支配管理に当たっていたことはそれを裏づける。この機関は後に大宰府(だざいふ)として引き継がれた。《延喜式》によると筑前,筑後,豊前,豊後,肥前,肥後,日向,大隅,薩摩の9国と壱岐,対馬の2島が所属するが,その所属には変遷があった。702年薩摩国と多褹(たね)島(現,種子島)が設置され,713年(和銅6)大隅が日向より分立した。また824年(天長1)多褹島を大隅に併合している。西海道は他の諸道と異なって,大宰府の統轄下にあった。
執筆者:亀田 隆之
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古代、律令(りつりょう)期における国の上部の地域単位である五畿(ごき)七道の一つ、およびそこに設定された官道の名称。西海道は九州にあたり、8世紀初頭ころには、筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)、豊前(ぶぜん)、豊後(ぶんご)、肥前(ひぜん)、肥後(ひご)、日向(ひゅうが)の7か国と壱岐(いき)、対馬(つしま)の2島からなっていた。702年(大宝2)までに薩摩(さつま)が、713年(和銅6)に大隅(おおすみ)が、いずれも日向から分置され、翌年国に準ぜられることになった多褹島(たねのしま)が824年(天長1)に大隅国にあわせられて九国二島が最終的に確定した。西海道諸国はすべて遠国に属し、大陸に近いため外交・国防上の重要地域であり、中央政府の縮小版的な大宰府(だざいふ)の統轄下に置かれた。官道もまた都から大宰府へのほか、大宰府から諸国へ放射するように設定され、『延喜式(えんぎしき)』(927成立)では合計97駅が所在したことが記されている。
[金田章裕]
(1)古代の七道の一つ。現在の九州地方にあたり,筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・大隅・薩摩・日向の各国と壱岐・対馬・多禰(たね)の各島(国に準ずる)が所属する行政区分。筑前国におかれた大宰府が,朝廷からの出先機関としてこれら9国3島を統轄した。(2)これらの諸国・諸島を結ぶ交通路も西海道と称し,大宰府を中心に陸路が官道として,また諸島との間の海路が整備された。駅路としては,畿内から大宰府に至る途上の区間が大路のほかは小路の扱いで,「延喜式」では総計97駅に605頭の駅馬をおく規定であった。732年(天平4)に西海道節度使,746年に山陽・西海両道鎮撫使(ちんぶし),761~764年(天平宝字5~8)に西海道節度使を設置した。
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…中央から辺境にのびる道路にそい,適当な間隔で人・馬・車などを常備した施設すなわち駅を置き,駅を伝わって往来する交通・通信の制度。世界史上,前近代に広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると,外敵の侵入や国内の反乱に直ちに対処するばあいを含め,支配維持のために中央と地方とを常時連絡する手段が必要となり,さまざまな形態の駅伝が制度として定められるのが一般であった。このように駅伝制はもともと前近代における支配手段の一種であったから,国家の管理下に置かれて民間の自由な利用は許さないのが原則であり,また国家権力の解体とともに衰退していった。…
…また日本全国を表す語としても用いられた。五畿は山城・大和・河内・和泉・摂津の畿内の5ヵ国をさし,七道は東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道(各項目参照)をさす。畿内は皇都周辺の特別行政地域として646年(大化2)に設置された。…
※「西海道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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