日本歴史地名大系 「喜多山村」の解説 喜多山村きたやまむら 愛媛県:大洲市喜多山村[現在地名]大洲市喜多山天保郷帳には「北山村」と記載されている。現大洲市の東端にあり、現喜多(きた)郡内子(うちこ)町に接する。北方の山地から南流する矢落(やおち)川渓谷に沿った南北に長い山村。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の喜多郡の項に「北山村 茅山有、川有」とある。元和三年(一六一七)から大洲藩領であったが、村替により文化九年(一八一二)以降、新谷藩領(→竹之窪井関跡)。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」によれば「米上・大豆中・鮎・薪」の土産がある。宝暦一二年(一七六二)の「紙御役所御仕法旧記」(曾根家文書)によれば、村に半紙漉が二九人いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by