喜田村修蔵(読み)きたむら しゅうぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜田村修蔵」の解説

喜田村修蔵 きたむら-しゅうぞう

1818-1869* 江戸時代後期の武士
文政元年生まれ。豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩士勘定奉行,政事掛奉行職,藩校思永館学頭などをつとめる。慶応2年第2次幕長戦争では諸藩との外交交渉にあたる。明治元年12月新政府の公議人として東京で活動中,藩内反対派におそわれて死去。51歳。名は善養。号は松渓,下学堂,撃壌園。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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