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女性参政権

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

女性参政権

1945年12月、衆議院議員選挙法が改正され、女性の国政参加が認められる。46年4月の衆院選が女性にとって初の投票権の行使。同年11月に公布された日本国憲法参政権が明記され、47年4月の第1回参院選を迎えた。全国区100人と地方区150人を選出、うち女性は10人(4%)だった。

(2013-06-23 朝日新聞 朝刊 大阪市内 1地方)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

女性参政権
じょせいさんせいけん

選挙権・被選挙権を中心とする、女性が政治に参加する権利。かつては「婦人参政権」と称されていたが、「婦人」には既婚者など一部の女性のみに限定する意味合いがあることから、「女性参政権」と改められてよばれることが多くなった。長い間女性は、肉体的・知的に男性より劣る、育児や家事に専念し家庭を守るのが社会的本分である、家庭の利益は家長たる男性が代表すべきである、などの理由から政治参加の権利を認められなかった。フランス革命での新興ブルジョアジーの政治参加の要求が、資本主義の発達に伴い労働者階級の要求となり、選挙権拡大運動が展開されるようになったのを背景に、19世紀から20世紀にかけて、女性にも等しく参政権を認めよとする女性参政権運動がイギリス、アメリカなどで盛んに行われた。女性参政権の要求は、女性の政治的、経済的、社会的解放を目ざすフェミニズムの一環であるが、個々の領域における男女平等の実現は実は相互に密接に関連しており、とりわけ参政権をもつことが法的規制を通じて男女平等実現に決定的な役割を果たすと考えられたために、女性参政権運動は中心的地位を与えられた。したがって女性参政権は当初、本来女性も人間である以上男性と同じ権利の主体者であるべきだという自然権に基づく正義の主張として要求された。

イギリス

女性参政権という考えはすでに18世紀末M・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』にみられるが、現実の運動として展開されたのは、1865年女性参政権委員会がロンドンで結成されてからである。同年女性参政権要求を政綱に掲げて下院当選を果たしたJ・S・ミルは、1867年の選挙法改正に際して女性参政権を要求する修正案を出したが否決された。これを機に各地で女性参政権委員会が結成された。1869年ミルは『女性の隷従』を著して女性参政権運動に理論的根拠を与えた。この年、市町村議会の選挙で、女性の納税者にも初めて選挙権が認められた。1870年代にはほとんど毎年女性参政権法案が下院に出されたが、女性の投票権が政党政治に及ぼす影響が大きいなどの理由から反対が多く、1884年の第三次選挙法改正で決定的に遠ざけられ、運動は停滞期に入った。1897年に至ってM・G・フォーセットを会長とする女性参政権協会全国同盟が結成された。この同盟は知識人や中産階級をメンバーとし、会合や請願、文書配布など穏健な方法で運動した。1903年にパンクハースト母娘らにより女性労働者をもメンバーとする女性社会政治同盟が結成され、議事堂の塀に自分の体を鎖で縛り付けるなどの過激な運動方法をとったため、ミリタント・サフラジェット(戦闘的参政論者)とよばれた。第一次世界大戦とともに挙国一致の戦争体制に入り、運動は休止した。第一次世界大戦後の1918年人民代表法により30歳以上の女性に選挙権・被選挙権が認められ、ついで28年男女平等の普通選挙が実現した。[大木基子]

アメリカ

18世紀後半、植民地時代のニュー・ジャージーで女性の選挙権が認められたことがあり、独立当時には西部を中心とする九つの州で女性の選挙権を憲法に規定しようという動きもあった。1829年、女性の力で奴隷制をやめさせようという南部女性の『レディス・マガジン』への投書をきっかけに、女性の間でも奴隷制廃止運動が起こった。この運動のなかで、性の奴隷という点に白人女性と黒人女性との共通点がみいだされ、そこから女性解放の要求が起こってきた。1848年ニューヨーク州のセネカフォールズで、世界最初の女性の権利の大会がL・モットとE・C・スタントンの主催で開かれた。そこでは、男女ともに自然権が平等に賦与され社会の対等な構成員だという考えから、女性参政権の要求を含んだ「所信宣言」が採択され、女性参政権運動の基礎となった。1869年S・B・アンソニーらが全国女性参政権協会を、L・ストーンらがアメリカ女性参政権協会を結成、1890年に両者が統一して全国アメリカ女性参政権協会となったが、地域利害の対立が大きく運動は進展しなかった。この間1869年にワイオミング準州で、ついで1870年にユタ準州、1893年にコロラド、アイダホ両州で、さらに1910年から翌年にかけてワシントン、カリフォルニア、イリノイの各州で女性参政権が認められた。第一次世界大戦後の1919年、女性参政権のための憲法修正、いわゆる「アンソニーの修正」が2年がかりで上院を通過、1920年各州の批准が完了した。[大木基子]

日本

自由民権運動のなかでつくられた高知県の上街(かみまち)および小高坂(こだかさ)村の町村会規則では女性の選挙権を認めていたが、1890年(明治23)の憲法施行後は議会傍聴と請願を除くと女性の参政権はまったく認められなかった。明治末、平民社の女性たちが中心となって、政談集会の主催および会同、政社加入を禁じた治安警察法第5条の改正を求めて請願運動を起こした。大正期に入ると、新婦人協会が同じ請願運動を起こし、1922年(大正11)政談集会の主催および会同のみが認められた。翌1923年婦人参政同盟を結成し、女性の結社権と参政権の建議案を議会に提出したが、審議未了となった。1924年市川房枝(ふさえ)らにより、女性の参政権を要求する諸団体を集めた婦人参政権獲得期成同盟会が結成され、翌1925年、「婦人参政権建議案」は衆議院で可決されたが貴族院で否決された。第二次世界大戦後の1945年(昭和20)10月、占領軍が日本の民主化のために出した五大改革指令のなかに「婦人参政権」の1項があり、政府は女性の参政権を認める選挙法改正案を議会に提出、12月に両院を通過、公布した。1946年4月の総選挙で女性は初めて参政権を行使、36人の女性が当選した。続いて現行憲法の制定や関連法規の整備がなされ、法的に男女平等は実現した。[大木基子]

その他の国

第一次世界大戦後に西欧の主要国はほとんど女性参政権を認めたが、フランスでは1944年、イタリアでも45年と遅かった。新興独立国では、独立と同時に認めるのが普通になっている。スイスでもようやく1971年男性のみの国民投票で認められた。[大木基子]
『池上千寿子著『アメリカ女性解放史』(1972・亜紀書房) ▽水田珠枝著『女性解放思想の歩み』(岩波新書) ▽吉見周子著『婦人参政権』(『近代日本女性史2』1972・鹿島出版会) ▽E・パンカースト著、平井栄子訳『わたしの記録――婦人参政権運動の闘士パンカースト夫人自伝』(1975・現代史出版会) ▽児玉勝子著『婦人参政権運動小史』(1981・ドメス出版) ▽『市川房枝と婦人参政権運動――市川房枝生誕100年記念』(1992・市川房枝記念会出版部) ▽栗原涼子著『アメリカの女性参政権運動史』(1993・武蔵野書房) ▽日本婦人有権者同盟編『婦人参政権の市川房枝を継承する』(1995・日本婦人有権者同盟創立50周年記念事業実行委員会)』

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