喜遊 きゆう
1846-1862/63 幕末の遊女。
弘化(こうか)3年生まれ。嘉永(かえい)6年江戸吉原の遊女となり,のち横浜の遊廓岩亀楼にひきぬかれる。外国人某の身請け話をこばみ,「露をだにいとふ倭(やまと)の女郎花(をみなへし)ふるあめりかに袖はぬらさじ」という辞世をのこして自殺したという。攘夷論者による創作という説もある。文久2/3年死去。17/18歳。本名はちゑ。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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普及版 字通
「喜遊」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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