死に直面し、または死期の近づいたことを察知して、自分の感懐を述べた詩や歌。絶命の詞(し)、辞世の頌(しょう)などともいう。死に直面した臨終の際につくったものと、まもなく臨終を迎えるだろうと察しての、時間的余裕をもってつくったものとの相違があるが、いずれも辞世とみてよい。たとえば『西鶴置土産(さいかくおきみやげ)』巻頭に掲げられる井原西鶴の「辞世 人間五十年の究(きはま)り、それさへ我には余りたるに、ましてや 浮世の月見過しにけり末二年」は明らかに辞世吟であるが、松尾芭蕉(ばしょう)が死去する4日前によんだ「病中吟 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」(『笈日記(おいにっき)』)も、病中吟ながら実質的には辞世吟である。
死を前にして、知識人たちが辞世の詩歌、絶命の頌をつくることが一般化したのはいつの時代からかはっきりしない。死が日常のものとなり、また仏教が知識人の間に深く浸透していった中世からと思われるが、この時代の辞世には、作者の深い感懐を伝えて、人々の感動を誘うものが多い。『太平記』巻2にみえる日野資朝(すけとも)の辞世の詩「五蘊仮成形 四大今帰空 将首当白刃 截断一陣風」や、楠木正行(くすのきまさつら)が四條畷(しじょうなわて)に出陣するにあたって詠んだ「返らじと兼(かね)て思へば梓弓(あづさゆみ)なき数にいる名をぞとどむる」(巻26)の歌などであるが、近世に入って辞世が流行化すると、あらかじめつくっておかれたものが多く、感動を誘うような辞世の詩歌は少ない。
[神保五彌]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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