嘉勢島村(読み)かせじまむら

日本歴史地名大系 「嘉勢島村」の解説

嘉勢島村
かせじまむら

[現在地名]京ヶ瀬村嘉瀬島(かせじま)

阿賀野川右岸に位置し、東は糟島(かすじま)村。加瀬島村・嘉瀬島村とも記す。近世前期は新発田藩岡方組の五ヶ村組に属した。正保国絵図に加勢島村八六石余とあり、寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)には家数二三・人数一六九とある。明和四年(一七六七)の所々橋々覚書帳(豊栄年表資料)によれば、新江(しんえ)用水の加瀬島堰より加瀬島往来橋まで四〇〇間で、この間に橋二ヵ所、分水が四ヵ所あった。また加瀬島往来橋から小河原(こがわら)往来橋までは一四〇間であった。天明二年(一七八二)の岡方組万雑組立帳(倉島肩吾氏蔵)によれば役石は一〇八石七斗余で、五貫五五〇文の組万雑を負担している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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