嘉祢村
かねむら
[現在地名]新田町嘉祢
大間々扇状地藪塚面の南端付近に位置する。東境を銅山街道が南北に、東西に足利街道が走る。東は市村、南は金井村、西は大村。寛文年間(一六六一―七三)の笠懸野開発により金井村から分村した。寛文一一年の岡上開拓絵図(片山家蔵)に「金井村新田場」とみえ三万六千九四七坪。元禄郷帳では幕府領、江戸後期の御改革組合村高帳では上総貝淵藩(のち請西藩)領。明和二年(一七六五)の徳川家康百五十回忌の際には太田宿の加助郷を命ぜられ(「太田宿加助郷村々連印帳」太田宿本陣史料)、翌三年の木崎宿助郷帳(中島文書)では助郷高八三石六斗。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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