新田郡(読み)につたぐん

日本歴史地名大系 「新田郡」の解説

新田郡
につたぐん

面積:九六・七三平方キロ
笠懸かさかけ村・藪塚本やぶづかほん町・新田につた町・尾島おじま

県南東部に位置し、東は太田市、南は利根川を隔てて埼玉県深谷ふかや市、西は佐波さわさかい町・あずま村・赤堀あかぼり町、北西は勢多せた新里にいさと村、北は山田郡大間々おおまま町、北東は桐生市。南は東流する利根川、北から東にかけては鹿田しかだ山や八王子はちおうじ山などの低丘陵、西は南流するはや川と岡登おかのぼり用水を郡界とする。郡の北半部は大間々扇状地が広がり乏水性の低台地となっている。南方は大小の規模の洪積台地を交えて広域に、また鹿田山や八王子山の山裾には狭長に沖積底地が形成されている。扇状地の扇端には多数の湧水があり、郡南部の低平地に豊かな水が供給されるために早くから農地として開けた。扇状地部は長い間平地林で、近世一部が開発され、第二次世界大戦後の入植によって全面的に耕地化された。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は、わが国旧石器時代研究の出発点となった岩宿いわじゆく遺跡(笠懸村)が著名である。近年このほかに笠懸村和田わだ遺跡・稲荷山いなりやま遺跡・北山きたやま遺跡、藪塚本町のつつじやま遺跡、新田町中江田なかえだ遺跡・重殿じゆうどの遺跡など一〇ヵ所以上の分布が確認されている。すべて後期旧石器文化(約三万年前以降)に属する。縄文時代の遺跡は丘陵や台地の周縁部に多い。発掘された住居跡は笠懸村で前期二〇軒・中期一軒・後期二軒、藪塚本町で後期の敷石住居一軒、新田町で後期一軒、尾島町で後期一軒である。なお新田町の中江田遺跡では縄文早期の撚糸文(大丸式)および条痕文(茅山式)の土器を伴う二つの生活面が検出されている。縄文の遺跡は郡域の各所に分布するが、その中で笠懸村の丘陵地には縄文前期(黒浜期・諸磯期)の隆盛がみられる。また新田町西部から尾島町北部の石田いしだ川流域は草創期から後期遺跡の集中地域で、とくに早期の遺物が豊富である。藪塚本町の石之塔いしのとう遺跡は岩版・土偶・耳飾など郡内では希少な後晩期の祭祀的な遺物を多量に出土している。弥生時代の遺跡は概して希薄である。笠懸村では鹿の川かのかわ遺跡で須和田式(弥生中期前半)の壺が数個体まとまって出土し、和田遺跡では竜見町期(弥生中期末)の住居跡二軒、神社裏じんじやうら遺跡で赤井戸式土器を伴う住居跡が四軒確認されている。藪塚本町では中原なかはら遺跡で弥生中期の壺一点、滝之入たきのいり遺跡で樽式(弥生後期)の壺一点が出土。新田町では東田ひがしだ遺跡で樽式土器を伴う土壙が検出され、梨子木なしのき遺跡・中江田遺跡で樽式土器片、東原ひがしはら遺跡で磨製石鏃一点が採集されている。尾島町では長楽寺ちようらくじ遺跡で弥生中期(須和田期)の住居跡一軒、尾島工業団地おじまこうぎようだんち遺跡で樽式土器・赤井戸式土器を伴う弥生後期の住居跡一軒、常木つねき遺跡で二軒屋式土器(弥生後期)を伴う土壙一基が検出され、また粕川山の神かすかわやまのかみ遺跡で弥生後期の土器片が採集されている。


新田郡
にいたぐん

和名抄」諸本とも訓を欠く。「延喜式」神名帳に「ニヒタ」、「拾芥抄」には「ニイタ」「ニフタ」と訓を付す。現在の登米とめはさま町・中田なかだ町・石越いしこし町、栗原郡高清水たかしみず町・瀬峰せみね町、遠田とおだ田尻たじり町にわたる地域に比定される。「続日本紀」神護景雲三年(七六九)三月一三日条によれば、「新田郡人外大初位上吉弥侯部豊庭」が「上毛野中村公」の姓を賜っており、当郡はこの頃には成立していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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