嘉鈍村(読み)はどぅんむら

日本歴史地名大系 「嘉鈍村」の解説

嘉鈍村
はどぅんむら

[現在地名]喜界町嘉鈍かどん

白水しらみど村の南に位置し、東部は海に面する。ひが間切のうちで、ハドゥンという。琉球王国時代のミヤの跡があり、ミヤから山手を上の道(うぃんのじょう)、海側を下の道(しゃんのじょう)と称する。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)に東間切与人のとして「嘉鉄村」とみえるのは嘉鈍の誤記であろう。天保一〇年(一八三九)に「嘉鈍村」の西則が砂糖一万斤を上納した功によって与人となった。墓が当地の墓地にある。向井家の祖清風は近世に琉球から竜舌蘭を持帰り、島内に植えさせたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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