四十八坂
しじゆうはちざか
[現在地名]大野町 四十八坂
大野町の西南部、経小屋山の山裾を通って大竹市玖波に至る旧山陽道の坂路。「芸藩通志」は「大野村の官道なり、登降やゝ険なれども、海湾の望いと麗し、北に一嶽あり、層岩尤奇なり」と記す。また文化三年(一八〇六)の「佐伯郡廿ケ村郷邑記」には「西国の往還なり、始終八坂ともいい、名高き坂峠なきも高低曲折多きためこの名あり」と、その名の由来を載せる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の四十八坂の言及
【大野[町]】より
…大野瀬戸ではカキの養殖が行われ,丸石には南西海区水産研究所がある。中世に大内義隆の本拠となった門山城跡などの史跡も多く,経小屋山の四十八坂は1866年(慶応2)の長州征伐で幕府軍が大敗を喫した地である。ほかに妹背(いもせ)の滝,宮浜温泉などがある。…
※「四十八坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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