日本歴史地名大系 「四拾町村」の解説 四拾町村しじつちようむら 福岡県:山門郡大和町四拾町村[現在地名]大和町豊原(とよはら)上塩塚(かみしおつか)村の北、矢部(やべ)川支流塩塚川左岸にある。元和七年(一六二一)の郡村帳には四拾丁村とあり、玄蕃高三三二石余・新田高二九七石余、小物成は葭野年貢米四斗。旧高旧領取調帳では高八一六石余。幕末から明治初年の反別は五四町四反余(郡郷)。慶長一七年(一六一二)三池(みいけ)街道の一里石が当村に設置された(旧柳川藩志)。現在も豊原小学校前に「柳河より一里」という道程石標がある。綿紡業者がおり、嘉永二年(一八四九)時点では久兵衛・源四郎・杢左衛門・庄兵衛・源左衛門・源之丞・重左衛門・杢兵衛の八業者がいた。同年の当村の生産高は現町域の六三パーセントを占め、最大の業者源四郎は町域の三四パーセントを生産した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by