日本歴史地名大系 「四浦村」の解説 四浦村ようらむら 熊本県:球磨郡相良村四浦村[現在地名]相良村四浦川辺(かわべ)川中流の東西両岸にまたがり、大部分は山林で、北は五木谷(いつきだに)村(現五木村)、東は須恵(すえ)村(現須恵村)・深田(ふかだ)村(現深田村)、西は山田(やまだ)村(現山江村)、南は河辺(かわべ)村に接する。中世期に永吉(ながよし)庄に属した田代(たしろ)・初神(はつがみ)の二村に、平川(ひらこう)・晴山(はるやま)の二村を併せ、寛永一一―一八年(一六三四―四一)の間に成立した近世村。同一一年段階の四村は本高のみしかなく、合計一九三石九斗四升とある(郷村高辻帳)。しかし「四裏村」と記載された同一八年の検地帳では、分米合せて三二〇石二斗余が算出され、四ヵ村合併の理由として、人吉藩による年貢増徴策があった疑いも捨てきれない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報