デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「因斯羅我」の解説 因斯羅我 いんしらが 「日本書紀」にみえる渡来人。画部(えかきべ)として記録される最初の人。雄略天皇7年,陶部(すえつくりべ),鞍部(くらつくりべ)などとともに百済(くだら)(朝鮮)から渡来。吾礪広津邑(あとのひろきつのむら)(大阪府八尾市か)におかれたが風土になじめず,ほかの工人とともに現在の奈良県明日香村付近にうつされた。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「因斯羅我」の解説 因斯羅我 生年:生没年不詳 5世紀ごろの画工。画部(令制の中務省所属の画工集団。朝廷,寺院の絵画,彩色に従事した)として知られる最初の人。雄略天皇7(463)年に百済から招かれた工人のひとりで,陶部高貴,鞍部堅貴,錦部定安那錦,訳語卯安那等と上桃原,下桃原,真神原(いずれも奈良県明日香村付近か)に居住した。 (長谷川稔子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by