国分寺庄(読み)こくぶんじのしよう

日本歴史地名大系 「国分寺庄」の解説

国分寺庄
こくぶんじのしよう

淡路国分寺を中心にして成立したとみられる庄園。「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)四月一九日条によれば、造太神宮役夫工米の地頭未済の地の一所として淡路国の「国分寺」があげられ、横山権守時広に進納が命じられた。同四年七月二四日、時広は所領国分寺辺りで生れた足が九本ある異馬を引いて鎌倉に参じ、将軍源頼朝に披露している(同書)。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には、三原郡庄分のうちに鳥羽勝金剛とばしようこんごう(現京都市伏見区)領の「国分寺庄」があり、田三三町と畠で構成される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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