三原町(読み)みはらちよう

日本歴史地名大系 「三原町」の解説

三原町
みはらちよう

面積:五八・三五平方キロ

淡路島南部、三原郡の中央部に位置する。南部には諭鶴羽ゆづるは山系が連なり、北部には島最大の三原平野(扇状地)が広がる。北東はみどり町、東は洲本市、南から西は南淡なんだん町、北西西淡せいだん町に接し、島でありながら海岸線がない。河川は三原川を主軸に、北に北西流する成相なりあい川など四流、南には馬乗捨うまのりすて川など北流する三流の川があり、いずれも下流西淡町域で合流して播磨灘に注ぐ。交通路としては、中央部を国道二八号(旧福良街道)、主要地方道津名つな五色ごしき―三原線(旧中街道)、同阿那賀あなが―三原線など、郡中心地としての主要道路が通過する。

石器時代の遺跡は神代浦壁の浦壁池じんだいうらかべのうらかべいけ遺跡からナイフ形石器が採集されている。縄文時代の遺跡は三原平野および周辺には少なく、八木養宜入田の南畑やぎようぎいりたのみなみばた遺跡から前期の土器・石器が出土しているにすぎない。弥生時代の遺跡は、西淡町に属する松帆慶野まつほけいのみなとの海岸砂堆上で銅鐸銅剣銅鏃などが出土し、当町域でも神代国衙の経所じんだいこくがのきようじよ榎列上幡多の岩淵えなみかみはだのいわぶちなどから銅鐸の出土を伝えるが、不明な点が多い。また土器・石器の出土する地点が数ヵ所知られているが、遺構などは明らかでない。古墳時代の遺跡は後期古墳十数基があり、志知佐礼尾しちされおの佐礼尾古墳では小型の竪穴式石室から六鈴鏡が出土し、倭文委文しとおりいぶん古墳からは内行花文鏡、榎並上幡多の里見山さとみやま古墳からは家形石棺、八木笶原徳野の徳野塚村やぎやはらとくののとくのつかむら古墳から小型の陶棺の出土を伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報