日本歴史地名大系 「三原郡」の解説
三原郡
みはらぐん
〔古代〕
三原の郡名に「和名抄」東急本国郡部では「美波良」の訓を付す。淡路国の二郡のうちの一つ。地名としての三原の異記には「御原」(「日本書紀」応神天皇二年・同二二年条)、「三腹」(「古事記」応神天皇段)がみえる。「日本書紀」応神天皇二二年条にみえる「淡路の御原の海人八十人」、同書仁徳天皇即位前紀にみえる「淡路の海人八十」は、海上交通や御饌都国の海産物貢上の担い手として、大和朝廷と深く結び付いていた。ただし「淡路の海人八十」は「日本書紀」履中天皇即位前紀にみえる「淡路野嶋の海人」の可能性もある。天平宝字五年(七六一)一〇月の年紀をもつ「三原郡阿麻郷」の調塩の木簡(平城宮跡出土木簡)は海人の製塩の実在を示している。また「日本書紀」によれば仲哀天皇二年二月には「淡路屯倉」が設置されたとある。同屯倉の所在地は現三原町
「和名抄」記載の郷は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報