日本歴史地名大系 「園生村」の解説 園生村そのうむら 千葉県:千葉市稲毛区園生村[現在地名]稲毛区園生町(そんのうちよう)・天台(てんだい)四―五丁目・小仲台(こなかだい)四丁目・同九丁目・あやめ台(あやめだい)・柏台(かしわだい)宮野木(みやのぎ)村の南に位置する。古代薬園生または園部が居住したことに由来する地名という説がある。園生城とよぶ城跡が残り、陣屋(じんや)・馬場(ばば)・長者(ちようじや)・古屋敷(ふるやしき)などの地名がある。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳に村名がみえ、高三九〇石余で、三五間の道普請を負担。寛永二年(一六二五)の知行宛行状に葛飾(かつしか)郡園生村とみえ、高三九三石余が旗本山名領で、幕末まで変わらない。天保一四年(一八四三)近隣一六村と犢橋(こてはし)村(現花見川区)内の道掃除を負担しており(町野家文書)、嘉永三年(一八五〇)の江戸湾岸検分では人足六二・馬一〇を出している(中須賀家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by