菩提寺跡(読み)ぼだいじあと

日本歴史地名大系 「菩提寺跡」の解説

菩提寺跡
ぼだいじあと

[現在地名]上野市荒木 寺前

跡地は山麓にある。「招提千歳伝記」枝院篇に「伊州菩提寺荒木郷」とみえる。同書伝律篇によれば唐招提とうしようだい(奈良市)四九世の恵明宗和は「伊州服部郡荒木庄菩提律寺」に生れ、享徳三年(一四五四)八八歳で没したとあり、当寺は唐招提寺の有力末寺であったことがわかる。瓦片・石塔の残欠などが出土する。

応仁元年(一四六七)将軍足利義政の弟義視は応仁の乱で京都を逃れ、伊勢国司北畠教具の館に向かったが(後法興院政家記)、「応仁別記」に近江国甲賀こうが野尻のじり(現信楽町宮尻)より二五日夜、「伊賀服部ノ菩提寺ニ御著有」などとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報